6月
川遊びを見て思ったこと
6月に入ると生野学園の子どもたちは待ちきれなかったように川遊びに出かけます。
季節としてはまだ早く、川の水はまだかなり冷たいのですが、梅雨入り前の6月の日差しは充分に強く冷えた体を暖めてくれます。岩から飛び込む子、ゆったりと浮輪で浮かんでいる子、カヌーを漕ぐ子、釣りをする子、石で水切りをする子、それぞれが思い思いの遊びに夢中になります。
そんなとき子どもたちは普段はけっして見せないびっくりするほどの笑顔を見せることがあります。例えばみんなでゲームをしている時なども確かに楽しそうな笑顔を見せるのですが、川遊びをしている時はそんな笑顔とはどこか違った本当に屈託の無い「底抜けの笑顔」を見せてくれるのです。
この違いはいったいどこから来るのか?
それはたぶん川遊びでは皮膚感覚をはじめとした五感をフルに使って遊んでいることに起因するのではないでしょうか。五感を使って外界と能動的に交わることは生命の根幹にかかわることであり、それ自体が純粋に楽しいことであり、そうであるからこそあそこまで底抜けの笑顔を見せるのではないか、そんなふうに想像します。そしてこうした楽しさを経験することで子どもたちは自分の中に生きる力を育んでいくのではないでしょうか。

川で遊ぶ子どもたちを見てもうひとつ思うことがあります。
それは遊びというものが純粋に自発的な行為だということです。
以前、子どもたちに遊びを教える塾をされている方の話を聞いたことがあります。
その話というのは
「塾をはじめた時、教室にやってきた子どもたちに一生懸命遊びを教えて、一緒に楽しんだつもりだった。でも休憩時間になって子どもたちに『先生、遊んでもいいですか?』と言われた。一瞬どういうことかわからなかったけど、それは今までしていた「遊び」は子どもたちにとっては遊びではなく、大人たちにやらされたことに過ぎなかったということだった。とてもショックだったけど、考え直して、それからは子どもたちの自発性を大切にするようにした。」という内容です。
たしかにそとおりで遊びが遊びたるゆえんはそれが自発的な行為だということにあります。
大人から見たら「しょうもないこと」に思えるようなことでも、それが自発的にはじめたことであれば子どもたちにとっては楽しく、ワクワクすることなのだと思います。 そして、それゆえに遊びを通してこそ子どもたちの主体性が育っていくのだと思います。
生野学園中学校を作ったときに「子どもたちの主体性が育つ場所にしよう」という目標をたて、そのためには「思いっきり遊べる環境が必要だ」と考えました。それは今述べた理由からです。その考えは今もまったく変わらず、中学だけでなく高校生にとっても重要なことであり、五感をフルに使って遊べる環境を大切にしたいと思っています。

子どもたちの自主性を大切にすること。これがとても重要なのですが、たんに子どもたちを放っておけばよいというわけではありません。
以下、その話をします。
大人や年齢の異なる子どもたちが混じって遊んでいる場面があると、年齢の低い子どもたちは大人や年上の子のすることをよく観察しています。大人や年上の子は経験が豊富なので遊びにも熟達しています。川遊びなら、深く潜って魚を捕まえてきたり、高いところから飛び込んだり、水切りがむっちゃくちゃうまかったり・・、いろんな姿がみられます。そしてそれを見て「すごいな」とか「かっこいいな」と思った子どもは「自分もやってみたい」「自分もああなりたい」と思い、真似をしはじめます。自分なりいろいろ試してうまくいかないと「教えてほしい」と言ってきたりもします。
ここで大切なのは、大人や年上の子は上から何かをさせようとしたり、教えようとしているのではなく、自分たち自身が楽しんでいる姿を見せているだけで、それを見た年下の子が自発的に「やってみたい」「教わりたい」と思うようになるということです。
子どもたちが「あんなふうになりたいな」と思う人、子どもたちのモデルになるような存在を専門用語では「同一視の対象」と言います。同一視の対象を見つけることで子どもたちの中に内的な動機が生れ、それに従って動くことで世界が広がっていくのです。
ですから、子どもたちを放っておくのではなく、また何かを教え込むのでもなく、同一視の対象と出会えるような場を作っていくこと、これが大人たちの役割だろうと思っています。
川遊びに限らず、中学校の「活動」や高校の「多目的授業」はこうしたことを意識して作ったものです。まだまだ不十分なところも多いですが、今後も真剣に取り組んでいきたいと思っています。