7月
生野学園では子どもたちの自主性を尊重しており、子どもたち一人ひとりが違っていて当たり前だと考えているので、日々の生活、学習、クラブ等ではそれぞれの子がそれぞれの動き方をしています。
そのため「みんなが揃って一斉に何かをする」ということはあまりありません。そんな中での数少ない「みんなで一斉にする例外」として「寮会議」があります。
今月はその「寮会議」にまつわるお話をしてみようと思います。

各寮で行われる寮会議では、体調が良くないなど特別な理由がない限り全員が出席します。時間に遅れてくる子がいても全員が揃うのを待ってから開始します。
これは「寮は自分たちが生活している場なので、寮のことは人任せにせず、自分たちで話し合って決める、そして何かを決める場合は全員の了解を得るべきだ」という考えに基づいています。
明確な規則があるわけではないのですが伝統的に「寮会議は出ろよ」というのが生徒、スタッフの間で不文律のようになっているのです。

ここ数回、中学男子寮の寮会議で話題になったことがあります。
それは「掃除のやり方」についてです。少し細かくなりますが話の内容をまとめると次のようになります。

生野学園では掃除を水曜日の2時半から全校で一斉に(これも例外の一つ)行なっていますが、中学では初めに校舎を全員で掃除し、その後で寮の掃除をそれぞれの分担場所を決めて行っています。
ところが最近、中学男子の人数が増えてきて、今までの掃除場所の分担に余裕が出てきたので、これまでのやり方を見直そうということになりました。
「各場所を分担する人数を増やす」「新たな掃除場所を増やす」などの話がでてきましたが、皆んな今一つ納得がいきません。そんな中で「全員を校舎担当と寮担当に分けて同時に掃除をしたらどうか」という案がだされ「それはいいかもしれない」という話になりました。
ただ校舎と寮を同時にすると、時間は短くなるけど半分の人数で掃除をすることになるので「本当に可能だろうか?」「負担が増えるのでは」という疑問もあがり、スタッフからは「掃除の質は落とさないでほしい」という要望も出されました。
それでも「多少負担が増えても掃除が半分の時間で終わるのは嬉しいしやってみる価値はあるのでは」ということになり、スタッフからの提案で「とりあえず2週間ぐらいやってみて本当に出来るかどうか試してみたら?」というところに落ち着きました。
そして2週間後、もう一度意見を聞くと「いいんじゃない」「これでやっていけそうだ」との話。スタッフからも「人数が減った分、みんな良くやっていた。」という感想もあり、2学期からはこのやり方で掃除をすることになりました。
これは一つの例ですが、寮会議ではこんなふうに物事が決まっていきます。 (高校では生徒から成る「寮委員会」があり、そこで検討された事が全体の寮会議に提案され議論、決定されます。)

寮会議にあたり、スタッフとして意識して子どもたちに伝えていることが2つあります。
一つ目は、「寮は自分たちの生活の場なので、自分たちで意見を出し合って、自分たちでいろいろと決めたらいいんだよ。」ということです。
ただ実際には、今の子どもたちは「自分たちで決める」という経験が少なく、「規則は予め決められていて、従わないといけないもの」という意識を持ちがちです。
ですからいきなり「自分たちで決めていいよ。」と言われても戸惑ってしまいます。そこでスタッフから「こんなふうにしてもいいよ」とか「こんな考え方もあるよ」というように選択肢を提供する場合もあります。
ただいずれにせよ「最後は自分たちで決める」ことが重要であり、「自分たちで決めたことだからしっかり守る」という意識も生まれると思っています。

二つ目は、「なにかを決めるときは全体のことを考えてほしい」ということです。
自分たちで決めていいと言っても、好き勝手に決めるわけには行きません。「決めたことが本当にうまく機能するのか?」「それによって寮が本当に住みやすい場所になるのか?」「だれか困る子が出てこないか?」など、いろんな場合を想定してみることが必要です。そのためスタッフとして「こんなケースは考えられないか?」とか「こんな心配はないのか?」といった疑問を提示することも多々あります。
経験の少ない子どもたちにとって「全体を見る目」というのは一朝一夕で身につくものではありません。でも共同生活をする中で、ゆっくりであるけれど確実に身につけていくように思います

これから先、少し寮会議の話から離れ、話の底流にある「自分たちで決める」、あるいは個人の場合の「自分で決める」ということについて考えてみようと思います。少し理屈っぽい話になりますがお付き合い下さい。

「自分で決める」ということをもう少し細かく見ていくと、いくつかの選択可能な未来が有ってその中から自分の望むものを選び取る(=決める)ということなのだと思います。
ですから選択可能な未来があることが「自分で決める」ための前提になります。
「~が出来る」「〜をしてもよい」あるいは逆に「~はしなくてもよい」という可能な選択肢が有って、それを自分で「するか」「しないか」を選ぶ自由があって初めて「自分で決める」ことが可能になります。逆にもし選択肢が無いのであればそれに従うしかありません。
客観的に見て本当に選択の余地が無いのであればそれを受け容れるしかありません。
でもそうではなくて、自分で「どうせ出来っこない」と思い込んでいたり、「するべきではない」という思いにとらわれていたり、反対に「こうしなければならない」という規範意識が強すぎたりして、自ら可能性を狭めてしまっているケースも多々あります。
あるいは今の自分の力では実現不可能な選択肢を夢想してしまって、結局何も選べなくなっている場合もあります。
いずれにせよ「自分で決める」ことの出来ない閉塞した状態です。
こんな場合、しんどい思いをすることもたくさんありますが、何らかのきっかけで「あっ、こんなことが出来るんだ。」とか「無理にこんなことをしなくても良かったんだ。」とか「あせらずこんなことから始めればいいんだ。」といった「気づき」が訪れることがあります。
そんな時は自分の世界が広がり、その主人公として生きるワクワク感を感じられるのではないかと思います。
そしてそんな体験をする中で子どもたちの主体性が育っていくのではないかでしょうか?

最後にもう一度、寮会議の話に戻します。
実際の話し合いの中では「こんな事はしないでほしい」とか「こんな事を気をつけてほしい」といった「苦言」が呈されることも多くあるし、難しい問題ではなかなか解決策が見いだせず重苦しい雰囲気に包まれることもあります。
ただそんな中でも「どうやったら寮が楽しく住みやすい場所になるかを考えて、自分たちで決めていけばいいんだ」という基本を忘れず、先に述べた「気づき」が得られるように、スタッフの立場からアドバイスしていきたいと思っています。