10月
生野学園に来て間もないころ、創立者の森下先生から「ぜひ読みなさい」と紹介された本があります。 それは社会心理学者エーリッヒ・フロムの 著書 ”To have or to be” (1976)を生野学園初代理事長であった黒丸正四郎先生が翻訳されたものです。

黒丸先生はアメリカの友人からこの本を紹介されて読まれたそうです。そしてとても興味深い内容であったことから出版を前提に翻訳されたのですが、既に『生きるということ』という邦題で出版されていたことがわかり、残念ながら出版には至りませんでした。ただ「せっかく翻訳したので」ということで、黒丸先生はこれを冊子にされ知り合いに配られました。
その中の一冊が生野学園に贈られたのです。

黒丸先生の序文での言葉を借りると「本書は現代文明社会の世相を精神分析学的、社会学的側面から追求したもの」で、「人間の『生きざま』(実存)を『〜を持つ』(to have”)という様態と『〜である』(to be”)という様態に分けて対置し、現代が余りにも to have の世界に陥りすぎていることを強調し」、その結果としてもたらされる様々な弊害を指摘し、それらを克服する道筋を示しています。

以下、可能な限り本の内容を説明してみます。

まず、フロムは「私が to have と to be で表そうとしていることは、例えば『私は車を持っている』とか『私は幸福です』といった具体的な主体の様子ではなく、自己および世界に向かう主体の2つの方向性ならびに特質であり、この特質が人々の思考、感情、行為を決定する」と説明しています。

難しい説明ですが、思いっきり平たく言ってしまうと
「人には to have的な生き方と、to be的な生き方の2つがあるよ」ということではないでしょうか。

それではその2つの生き方はどんなものか?
フロムは第1篇で様々な具体的な例を上げて説明していきます。

例えば「学習」での説明を要約すると、

「to have の態勢にある学生は講義に耳を傾け、ノートに書き込み、記憶し試験に合格する。しかし、それをもとに何かを生産し、創造したりはせず、彼自身が変わるということはない。」

これに対し to be の態勢をもつ学生は、
「講義の扱う問題についてあらかじめ想を練り、彼自身の問題として考える。講義で聴取したことが刺激になり、新しい課題、新しい考え、展望が開けてくる。講義の前後で彼自身が変化する。」 (ただし、こうなるためには講義自体の質が高くなければならないとフロムは指摘しています。)

少し補足しておくと

to have 的な様態での「知る」ということは ”I have a knowledge”という表現があるように、知識を獲得・所有することであり、知識はあたかも一つの物のようにとらえられ、学習の結果は私の所有する知識が増えるということです。知識はあくまで自分の持ち物なのです。ですから獲得した知識も私自身も変化することはありません。

これに対し to be的な様態での「知る」ということは、自分が生きて向き合っている世界のなかで、これまで見えていなかったもの、見えていなかった部分が見えるようになることであり、何かを獲得、所有することではありません。むしろそれは「気づく」ということに近いのではないでしょうか。結果として自分の生きる世界が広がり、自分自身が変化するのです。

フロムは、さらに記憶、話合い、読書、権威、信仰、愛などを例にとって2つの生き方の違いを古今東西の文明的背景を踏まえながら説明しており、それを読み進めるうちに読者にもなんとなく「to have的な生き方」と「to be的な生き方」の違いがわかるようになってきます。

フロムは to have的な様態に否定的で、to be的な様態に肯定的です。そして現代社会で to have的な様態が支配的なっていることを危惧しています。ただ誤解してはいけないのは、彼は所有すること自体を否定しているわけではありません。実際、所有なしには生きていくことはできないのであって「生存のための to haveは to beと葛藤しない」といっています。
ですから、あくまで「自分や世界と関わる姿勢」が to have的な様態ばかりになって、to be的な関わりが忘れられてしまうことに警鐘を鳴らしているのです。

そして、現代社会で起きているの様々な問題の根底には人間の to have的な関わり方があると指摘しています。そのすべてを紹介するのは無理なので、ほんの一部をあげます。

まず社会全体に関わるようなこととしては、人間の活動の目的が物を獲得、所有することに偏ってしまうこと、その結果として過度の利潤追求に陥ったり、大量生産、大量消費があたりまえになり、環境破壊をもたらしてしまっていることなどが指摘されています。

また個人の行動に関わることでは、人の評価が「その人自身がどういう人間なのか」ということよりも「その人が何を持っているか」によってなされてしまうことや、様々な対象を「それ自体のあり方」を大切にするのではなく、自分の所有物としてコントロールしようとする傲慢な態度をもたらしていることも指摘されます。

フロムはこのような問題を指摘した上で、最後の章でそれを克服していく展望を示しています。
(これに関しては時代的な制約もあって素直に頷けない部分もあります。)

以上、簡単に本の内容を見てきましたが、これだけの説明では本書の深く豊かな内容はほとんど伝えられていないので、ご興味の有る方は是非ご一読ください。(黒丸訳はありませんが・・)

1976年の著作なので現在の社会とは少し合わなくなってきている面もありますが、私達が直面している様々な問題の根底には to have的な生き方の問題があり、それを克服するためには to be的な生き方を見直していく必要があるというフロムの主張は傾聴に値すると思います。

さて、生野学園が創立して間もないころに、黒丸先生がこの本をお贈り下さり、森下先生がスタッフに「ぜひ読みなさい」と勧められたのは「to be的な生き方を大切にする学校でありなさい」というアドバイスであったろうと思います。
学校という場所はともすると知識や技能を身につける to have的な部分が強くなりがちな場所です。しかし子どもたち、特に不登校を経験した子どもたちにとって本当に重要なのは、どっしりと腰を据えて自らの to be と向き合うことであり、生野学園はそれが出来る学校でなければならないと教えていただいたのだと思っています。

残念ながら黒丸先生は2003年に逝去されましたが、お元気なうちは生野学園の入学式や卒業式にお越しいただき、示唆に富むお話をしていただきました。物事の本質、核心をズバリと指摘される内容に敬服したことが思い出されます。