2018年1月
今月は少し数学についてお話したいと思います。

はじめに先週の数学の授業でとりあげた問題を載せておきます。

6個の整数を適当に選びます。(例 78, 35, 93, 156, 17, 59)
この中には差が5で割り切れる整数のペアがあります。(例 93 - 78 = 15)
      
  1. 自分で6個の整数を適当にえらんで、実際に差が5で割り切れる整数のペアがあるかを調べてください。
  2.   
  3. 実は6個の整数を選ぶと差が5で割り切れる整数のペアが必ずあります。その理由を考えて説明してください。

授業に来た子どもたちは途中でヒントを聞いたりしながらあれこれ考えていましたが、「なんとなくわかるんだけど、どう説明したらいいのかが難しい」と苦戦していました。
もし興味がおありでしたら考えてみてください。(この文の最後に解説を載せておきます。)

ところで、
数学教師をしていると「数学を勉強して何の役にたつの?」とか「方程式なんか勉強しても将来使うことあるの?」といった質問をよくされます。
こんな時にどう返答したらよいのか、いろいろと悩んできましたが最近は「2つの話」を伝えるようにしています。

1つ目は「数学はものすごく役に立っている」という話です。

たとえば「今、頭の上で光っている蛍光灯なんかは『電磁気学』という理論にもとづいて作られている。その電磁気学は数学の言葉で表されているんだ。」とか「今、君が使っているスマホは高度な科学技術のかたまりのようなものだけど、それは数学の理論があって初めて成り立つものばかりなんだ。例えばそのスマホの中の個人データの保護には数学の『暗号理論』が使われているんだよ。」等々、実際に数学が役に立っている話をします。

私見を言うと、ニュートン、ライプニッツ以来の微分積分学が切り開いた地平はものすごく大きいと思っています。微分積分学の登場により多様な自然現象の中にひそむ法則を数式で表し、現象のこれからの変化を予測することが出来るようになりました。技術とはそもそも自然法則を自らの目的のために利用する術のことなのですが、このことによって人類の技術力は飛躍的に高まったと思います。さらに、近年のコンピューターの発達によりかなり複雑な現象も予測、利用できるようになってきていますが、こうした科学技術の根底には連綿と探求されてきた数学の考えがあるのです。
つまり我々は日々数学の恩恵を受けて生活しているということです。

ただ、こんな話をすると次のような反論が聞こえてきます。

「たしかに数学があるおかげで快適な生活が出来ていることはわかった。でも自分は科学者や技術者なんかになるつもりはない。その人達が作ったものを使えたらそれでいい。だから別に数学を勉強する必要はないんじゃないか?」

この反論に対しては次の「2つめの話」で応えるようにしています。

「たしかに学校を卒業したあとも数学を使う人はごく僅かだ。日常生活で方程式なんか使うことはまったくない。でもたとえば体育の授業で鉄棒をしたとする。将来仕事で鉄棒をする人はいないと思うけど、鉄棒で身につけた体力、運動能力は生きていく上で役に立つんではないか? それと同じことで、将来仕事で方程式を使わなくても、方程式を勉強することで身につけた力は君が生きていく上で役に立つとこともあると思う。」

では数学を学習することで身につく力とはなんでしょうか?

よく「読み書き算盤くらいは・・」と言われる『算盤=基本的な計算力』も重要な力だと思います。でもこれはどちらかというと算数までの話で、より抽象的で難しい数学をわざわざ学ぶ理由にはなりません。
人によっていろんな考えがあると思いますが、自分が思う「数学を学習することで身につけてほしいと力」とは「物事をきちんと筋道を立てて考える力」と「それを他者に説明する力」。そしてもう一つ上げれば「問題を解決していく直感力」のようなものだと思います。

数学というのは「誰もが認める前提(公理)」を出発点として一つ一つ論理的に筋道を立てて展開していったものなので曖昧さというものがありません。数学の世界ではどんな主張も正しいのか間違っているのかがはっきり決まります。
それゆえ数学を題材としてトレーニングをすると自分の考えの正誤がはっきりするし、人に説明する場合は論理的に話を進める必要があります。
数学の問題を前にしてあれこれ考えたり試したりして、それが間違っていたら別の可能性を探る。何を前提としてどのように説明したら自分の考えがきちんと伝わるのかを試行錯誤する。そういったトレーニングをすることで「論理的にきちんと考え、それを他者に説明する力」が身についていくのではではないか。そして多くの問題をこなしていく中で「問題の解決に至る直感のようなもの」が育ってくるのではないか。そんな思いから数学の授業では冒頭に上げたような問題を用意して、子どもたちに考えたり説明してもらったりするようにしています。

(念のために付け加えておくと数学の世界も突き詰めていくと「ゲーデルの不完全性定理」というのがあって完全ではありません。ただ自らの「不完全性」も証明してしまうのが数学の面白いところだともいえます。)

以前、生野学園の学習の目標は「自分自身を知り、自分がどのように生きていくのかを考えていくことだ。」という話をさせてもらいました。そしてそのためには自分自身を取り巻く世界を正確に知り、自分の考えを他者に伝えていくことが必要になります。
ところが今の時代は膨大な情報に溢れ、その中から何が正確で何が不正確なのか? 誰の主張が正しくて誰の主張が間違っているのか? そういったことを判断することがますます難しくなってきています。またSNSというコミュニケーションツールを手に入れたけれど、その中で自分の気持や考えを正確に伝える力が追いついていない現状もあります。

そんな状況の中で、自分の思うように生きていくためには「物事をきちんと考え、筋道を立てて説明する力」がますます必要になってくると思います。

数学を学習する理由はこんなところにあるのではないでしょうか?

以下は冒頭の問題の解説です。

  • 整数を5で割った時の余りは 0, 1, 2, 3, 4 の5通りしかありません。
  • そのため6個の整数を選ぶと5で割った余りが同じになる数が少なくとも2個はあります。
  • 余りが同じ数どうしの差をとると余りの部分が相殺されて無くなるので、差は5の倍数になります。

説明は以上ですが、問題の例(78, 35, 93, 156, 17, 59)を使って補足しておきます。
6個の整数を余りの種類で分類すると次のようになります。
余り3のところに78と93がダブっているのがわかるかと思います。

余り01234
整数351561778, 9359

78 = 15 × 5 + 3
93 = 18 × 5 + 3なので
93 - 78 = (18 × 5 + 3) - (15 × 5 + 3) = 3 × 5 = 15

ちなみに「5個の場所に6個のものを入れると少なくとも一箇所はダブってしまう」という考え方を数学では「鳩の巣原理」と呼んでいます。