2018年2月
今月は27期生の卒業式でお話した式辞を掲載させていただきます。

式辞

27期生の皆さんご卒業おめでとうございます。
皆さんは生野学園で数々の貴重な体験をされてきました。
中でも寮での共同生活を基盤として仲間とともにクラブや委員会、様々な行事を経験されたことはとても大きな事だったのではないでしょうか。
先日の卒業制作展・ライブを観て皆さんの成長を本当に実感することができました。

でも、入学当初はあまりうまくいかないことも多かったと思います。
周りに気を使いすぎたり、合わせたりして自分が出せなかったり、逆に自分のことに精一杯で周りがまったく見えていなかったこともあったかもしれません。
そんな中でお互いにぶつかったり、感情の起伏をコントロール出来ないこともあったかもしれません。それでも少しづつ周りを認め、自分を主張し、仲間とともになにかを達成する素晴らしさを体験されていったのではないでしょうか?

ところで皆さんは「非認知能力」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
あまり耳にしたことはないかもしれませんが、教育関係者の間では近年話題になっている言葉です。
「非認知能力」は、知ったり理解したりするという意味での「認知」に否定の「非」が付いた能力です。つまり「認知するのではない能力」ということになります。
少し説明すると、非が付いていない方の「認知能力」は漢字が書けたり、単語の意味を知っていたり、計算ができたりする力で、IQで測ることの出来る能力です。
これに対し「非認知能力」はIQでは測ることの出来ない能力です。
代表的なものとして、目的を達成しようとするための粘り強さ、目的の実現のために仲間と話し合ったり協調する力、そして感情をコントロールする力などが挙げられています。
これまでの教育は認知能力を中心にしてきましたが、どうもそれ以外にも重要な能力があるのではないかとの議論がなされ、近年なってこの「非認知能力」に注目が集まるようになってきました。
またAIの進化に伴い「認知能力」はいずれAIにとって代わられるけど「非認知能力」はAIが苦手としていたり、そもそもAIには無い能力だということも注目を浴びる一因になっています。
実際、教育産業のウェブサイトなんかを見ると「いかにして子どもに非認知能力をつけさせるか」みたいな言葉が溢れておりブームのようになっています。
もっともこれは小さなお子さんのいる親御さんをターゲットにしたものが多いのですが、ある研究によると非認知能力は10代後半でも充分身につくそうです。

そうしてみると、皆さんが生野学園でやってきたこと、つまり共同生活をし、仲間と共に話合いをしながら様々な活動をされてきたこと、しかもあらかじめ決められたルール通りにすれば良いのではなく試行錯誤の中でそれを実現してきたこと、これらほど非認知能力を身につけるのに向いた環境はなかったのでは、そんなふうに思います。

皆さんの中には「あまり勉強はしなかったなぁ」と反省している方もおられるかもしれません。でも数値化は出来なくても、今述べた「非認知能力」を身につけられたことは確実です。自信を持って良いと思います。ある意味、時代の最先端を行っているのかもしれませんね。

このように皆さんは生野学園での生活を通し貴重な力をつけられました。
でも皆さんが生野学園で過ごしたことの意味はもっと深いところにあると思っています。

その話にする前に少しだけ回り道をします。
宗教学者の山折哲雄さんという方がおられます。
実はもう20年程前になりますが山折さんは生野学園に来て下さったことがあります。その当時やっていた「話を聞く会」という行事で生徒たちにとても面白い話をしていただきました。その山折さんが数年前に「ひとりの哲学」という本を出版されています。
その本の中で山折さんは、近年「ひとり」というのは「ひとりぼっち」とか「孤独」とかマイナスのイメージで語られることが多いが、本来「ひとり」というのは「ひとり立ちする」といった言葉もあるように、もっと肯定的な意味を持つものだ言われています。
そして13世紀の宗教家、親鸞、道元、日蓮などの生き方を「個として自立し『ひとり』で生きていく確固たる基盤に立つことが出来た人間たち」であると紹介されています。

人は仲間と共にあっても、他人の人生を生きる訳ではないので、「自分らしさとは何か」とか「自分はどう生きていくのか」と言った根本的な問題に対しては、他人に決めてもらうのではなく「ひとり」で向き合い「ひとり」で決めていかなければならない、山折さんは「ひとり」という言葉にそんな意味をこめておられるのかもしれません。
その意味では「ひとり」とは自らの人生を主体的に生きる覚悟のようなものなのかもしれません。
そして自分自身の中心の部分ではしっかりと「ひとりで立ち」その上で周りとつながっていくという意味では生野学園の建学の精神「自然出立」に通ずるものがあるようにも思います。

皆さんは不登校を経験され生野学園に入学されました。不登校というのは単に学校に行けないということにとどまらず、これまで持っていた自分に対するイメージが崩れ「自分とはなにか?」という難しい疑問にぶつかったり、「いったい自分はなにがしたいのか」とか「人とどう関わったら良いのか」とか、様々なことで思い悩んだこともあったのではないでしょうか?。
そんな時に人からのアドバイスを受ける入れることは確かに重要なのですが、最後の所では自分自身で、つまり山折さんの言う意味での「ひとり」でしっかりと決めていくことが重要だったのではないでしょうか?そして自分で決めて、自分自身の中心の部分で「ひとり」で立ったとき、自然と仲間も増え、自分の思いにしたがって動くことの楽しさ、喜びを発見することが出来たのではないでしょうか?
それこそが皆さんが生野学園で過ごしたことの深い意味ではないかと思っています。

皆さんは今日一つの区切りとして出立の時を迎えます。まだまだ悩まれることも多いかと思いますが、これからも自分自身の人生の主人公としてたくましく生きていってほしいと思います。
卒業おめでとうございます。

そして、お母さん、お父さん、ご家族の皆様、お子さんたちは今日生野学園から出立していきますが、ひとりで立つまでにはまだまだ時間がかかると思います。これからが本当に重要で、ある意味今日がスタートと言えるかもしれません。
時として親しい人には思いっきり甘えることも必要になるでしょう。そんな時、しっかりとお子さんに寄り添っていかれることを最後にお願いして本日の式辞といたします。