2019年1月
先月の雑感で新井紀子さんの著書「AI VS. 教科書が読めない子どもたち」を紹介し、前半の「AIの限界」を指摘された部分について思ったことを書かせていただきました。今回はその続き、本の後半で考察されている今の子どもたちの「読解力」の問題について考えてみようと思います。
新井さんは子どもたちの基礎的読解力を調べるために独自にリーディングスキルテスト(RST)を開発され日本全国の2万5千人を対象に実施されました。RSTの詳細についてここでは述べませんが、簡単に言えば教科書や新聞から選んだ文章の意味を正確に理解できているかどうかを調べるものです。
その結果はかなり深刻で、
「中学卒業段階で約3割の子が(内容理解を伴わない)表層的な読解が出来ていない。」とのことです。これは教科書を読めていない子が3割いることを意味し、この本の表題につながっています。
さらに「内容理解が必要な読解だと進学率100%の進学校でも正答率が50%強しかない。」そうです。これは相当数の大学生、社会人が文章の内容をきちんと理解できていない可能性を示唆しています。ただこれは短絡的に感覚で答えてしまうから間違えるのであってじっくりと考えれば正答率も上がるのではという気もします。
新井さんは読解力が何に影響されているのかを探るためにRSTの対象者にアンケートを実施しています。それによると読解能力値は、読書の好き嫌い、科目の得意不得意、スマホの使用時間や学習時間(自己申告)などとは相関は見られないそうです。また通塾の有無にも相関はなかったとのことで、なかなか「これだ」という要因は見つかっていないそうです。
唯一相関が見られたのが家庭の経済状況だそうで、貧困が読解力にマイナスの影響を与えていることを懸念されています。
こうした状況を踏まえて新井さんは今の学校教育に対し、ドリル的な訓練で点数を上げるのではなく、教科書の意味がわかる読解力をつけ自分で学んでいく教育を模索していかなければならないと主張されています。

ここまでがこの本のかいつまんだ紹介です。詳しいことは新井さんのご本を直接お読みください。
この後は「読解力」をつけるには何が必要なのかを考察してみます。
はじめに結論を言ってしまうと、読解力をつけるためには「きちんとした対話」が必要なのではないかと考えています。
読解力なのに「対話」というのは唐突な印象を受けるかもしれません。
でもそもそも読解力の基盤である言語能力は幼少時の身近な人との対話の中で身についていくものです。幼児の未熟な言葉は他者との「言葉のやり取りの」中でだんだんと正確な言葉に変わっていきます。そしてこれと同じようなことが読解力をつけていく過程にもあると思うのです。
以下、それを説明してみます。
まず読解力が弱いということは文章の意味を正確に捉えられていないということです。これを「対話」の場面に移せば相手の言葉を正確に理解していないということになります。さらに相手の言葉を理解できないということは、自分の伝えたいことも正確に表現できていない可能性も強いと思います。
こうした状態からはじめて、わからないところを聞き返したり、不明な点を少しづつ確認したりしながら、お互いの共通認識を作っていくのが「きちんとした対話」です。この過程では「自分のこれまでの理解」や「はじめに表現していた言葉」が検証され修正されていきます。
こうした対話の中で検証され変わっていく経験が、読解力をつける上で重要なのではないかと思うのです。
ただ、言語の習得が幼児と大人の対話であったように、「きちんとした対話」が成立するためには対話者の一方は高い読解力を持っている必要があるでしょう。そうでなければお互いが「勝手な思い込み」を主張し合うだけで共通認識にたどり着くことはないでしょう。
また他者とのやり取りの中で「自分の理解」が検証され修正されていく過程があれば、直接の「対話」でなく文章のやり取りのようなものであっても構わないと思います。
読解力というのは総合的な力なので「これをすれば身につく」という単純なものではありません。当然ある程度の語彙力や、理解の基盤となる経験も必要ですが、先に述べたような「他者とのやり取りの中で自分の狭い理解が検証され、修正されていく」過程が欠かせないのではないでしょうか?
明確な根拠があるわけではありませんが、今の子どもたちの読解力不足の根底にはこうした過程の欠如があるような気がするのです。

実は文科省の提示した次回指導要録の基本的な考え方は「主体的で対話的な学習を目指す」ことです。文科省に関しては珍しく(と言ったら怒られそうですが・・)良い理念だと思います。
問題はかつての「ゆとり教育」のように理念は良くても実際にはうまく機能せず「絵に描いた餅」にならないかということです。 「きちんとした対話」が成立するためにはしっかりとした見通しが必要です。形ばかりの「対話」を取り入れても、お互いが狭い考えを主張し合うだけになれば意味はありません。そうならないように、今の学校現場の状況を踏まえた具体的な方策が実施されていくことを願っています。