僕はもう学校には行かない
男子 母 (高星会ニュースより)
 息子の様子にはっきりとした変化が見え始めたのは中学3年の2学期頃でした。そして休みがちながらも何とか登校しておりましたが、3学期に行われたクラスの席替(くじびき)で、当時同じクラスに2名いた、すでに不登校となっていた生徒に前後を挟まれる形で窓側最後部に変えられたその日に、「僕はもう学校へ行かない」と宣言。その日より外へ出れない状況となりました。終日T Vとゲームに明け暮れ、表情の全くない顔つきにどんどん変わって行きました。そしてその頃、私自身は仕事で大きな転機を迎え、余裕のない日々を過ごしており、その日々と重なるように息子の不登校が始まりました。
 そしてそこから家中の歯車が狂って行きました。当時の生活は今思い起せない程に日々混沌と、また朦隴としておりました。そして息子は家に閉じこもり、月日が流れて行きました。そしてそんな中、私自身は息子が通うはずであった高校の心理の先生と医療機関の医師の元へ通いながら一言でも明日につながる言葉をもらおうと悪戦苦闘の日々を送っておりました。
 しかし、私自身の大きな気付きとなったのが、以前に不登校のお子さんを持たれたあるお母さんのアドバイスでした。「親が子供を丸ごと受け入れられたら、子供はアホみたいに勝手に元気になるんやで。そしたら自分で折り合いつけて進みはじめるで。」この言葉がそれから私のお守りとなりました。そして「何かあったらすぐに電話して」とのその方からのお言葉を頂き、その言葉通り、当時の私は藁をも掴む思いで、息子の様子で気になる事があればすぐさま電話をさせてもらいました。全てをその方に受け止めて頂き、同時に自分自身と格闘しもがき、「目の前の息子を丸ごと受け入れる」と言う感覚に近づこうとしておりました。そして少し楽な気持ちで目の前の息子を見れるようになって暫くしてから「僕は家を出たい。このままこの家にいたら自分自身が変われない」と。そして出会ったのが「生野学園」でした。
 生野に入学してからの息子は、スタッフのバックアップの下に堰を切ったように常に何かに挑戦をしておりました。実にみずみずしい高校生活を送らせて頂き、 生野学園には一生賭けても恩返し出来ない程の恩恵を頂きました。これからも何かと不測の事態が待っているかも知れません。何せすぐに自分自身の事で手一杯になってしまう母親です。子供にもこの程度の親だとどこかで諦めてもらい、親子で折り合い付けながらゆっくりと確実に前へ進んで行けたら最高だと思っております。