出会い
男子 母 (高星会ニュースより)
 生野学園をいつ知ったのか、出会ったのか、実は、はっきり覚えていない。でも「ここだ。」と直感的に思ったのは鮮明に覚えている。そして学園を知れば知る程、息子にはここが合っている、と確信した。
 息子が不登校になったのは中学1年生の最初の最初。ゴールデンウィーク明けから登校を渋りだし、夏休み前からは学校に行かなくなった。何か原因かわからない。この頃からつらく長い3年間が始まった。家庭は大荒れに荒れ、大もめにもめた。父と子でもめ、夫婦でもめ、母と子でもめた。あばれる息子ととっくみ合って、馬のりになりながら止めたこともある。まだ幼い下の娘にとってもつらかったと思う。不登校になってからの1年はそれでも学校との接点を絶やしたらあかんと必死だった。息子も、つらいながらも学校へ行こうと努力していた。けど、小さな歩みも、努力も理解してもらえず、親子共々疲れた。学校に何度も行き相談したが、理解も協力も得られず足が遠のいた。
 中学3年になって、皆が進路について考えはじめた頃、私もこの先のことについて考えた。3年間ひきこもって人とも社会とも接点がないので、先ずは社会との接点を作り人間のコアを形成する。勉強は二の次。コアさえしつかりすれば勉強なんてあとからついてくる、と考えはすぐまとまったけど、じゃあどうする、は皆目見当がつかなかった。
 そんな時、生野学園に出会った。家から一歩も出ない子に、全寮制の学校はハードルが高いかな、と思ったけど、本人は意外にもあっさり、「俺、ここにする」と言った。彼の選択はまちがってなかった。今のイキイキとした表情を見れば一目瞭然だ。
 生徒だから、ではなく、一個人としての息子を見て下さり、人と人としての関係を構築して下さるスタッフの皆さんに感謝。そして親も視野が広がったように思う。まだまだわからないことや理解しがたいことはたくさんある。本音を聞いて下さり共に考えて下さるスタッフや、この年になって仲間と呼べる保護者の皆さんに出会えたことに感謝。
 人と人とのつながりに臆し、自分で決定することに臆してきた息子が、意思表示をし自分の意思で決めることが少しずつ出来るようになってきた。まだその歩みは遅いけど、息子の個が形成されはじめた。こんなうれしいことはない。私も少しずつ親として成長しはじめた。まだまだ物分かりのいいおかんにはなれないけど、本音でぶつかっていこうと思う。我々親子に気づきや出会いを与え、共に歩んで下さる学園に感謝。
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