いろいろな大人の一人として
野村佳世
高星会ニュースより
 生野学園で生徒たちに経験してもらいたいことのひとつに、「いろいろな大人に出会う」ということがあります。そのいろいろな大人の中の一人として私はどうあるべきか、という意味で私にとってもテーマのひとつです。
 『〇〇さんはな、愚痴とか話をただずっときいてもらうだけで安心する人なんや。そんで野村さんはな、背中を押してもらいたい時に会いたくなる人やねん』
あるとき、卒業生に言われた言葉です。
 そのとき、「いろいろな大人に出会う」という意味が私の中で腑に落ちた気がしました。思ったことは、世の中にはいろんなキャラクターがいていいのだということ、そのキャラクターは相手が感じて決めてくれることであり、私が無理をして他の大人のようになろうとする必要はない、私は私で良いんだ、ということでした。
 自分を認めることが相手を認めることになり、相手を認めることが自分を認めることになる。そして自分の肯定が安心につながり、動いていける。
とても単純な気もしますが、人と関わる気遣いや疲れ、様々な不安もある中ではなかなか難しいことです。時間をかけながら少しずつ少しずつ人や自分を認められるようになっていく、その過程で大人の果たす役割も大きいのだなとつくづく思います。
 学園にはスタッフといういろいろな大人がいます。人間ですから、それぞれ良いところ悪いところがあって当たり前。寮生活をする学園では、隠しきれません。無理に真面目ぶって正しい大人であるかのように見せようとせず、ずるかったり、怠けものであったり、あるがままの姿をみせることもいいのではないかなと思います。いろんなキャラクターの大人をみせてあげることで、生徒に人間はいろんな人がいる、多様性が当たり前。だから今の自分もわるくない、気を抜いて自分らしく生きていけばいいかな、と感してもらえるのではないかと思うようになりました。そして、それが「いろいろな大人に出会う」ことのーっの意味なのだと今は考えています。
 26期の生徒たちも、いろいろな大人に3年間で出会ってきたことでしよう。そして、私自身もその中の一人でいたことを嬉しく思います。
 26期の卒業生、保護者のみなさん、ご卒業おめでとうございます。これからも卒業生のみなさんがいろいろな大人と出会い続けてくれることを願っています。
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