事務室での二十年
水谷洋介
創立20周年記念誌より
 高校校舎棟の玄関を入るとすぐ右手に事務室がある。その横が職員室で、玄関から職員室への通路にもなっている。毎日何人もの生徒(職員も)が通っている。黙って通る者、「おはよう」と言って通る者、椅子が空いていると座って話しかけてくる者、暇だからといって事務の雑用を手伝ってくれる者、いい香りがするなと思うと横の石油ストープでマシュマロを串に刺して焼いて食べている者、寝ている者、相談を持ちかけてくる者、学割を申し込んでいる者、両替をしにくる者、黒板に落書きしている者、もうすぐ卒業やとしんみり話す者、「久しぶりやなー」と入ってくる卒業生、…。広いのか狭いのか12㎡の事務室。毎日そして毎年こんな様子で20年が過ぎている。
 生野学園は、不登校の子どもたちの居場所、他の学校では保健室登校があるが学園はすべての場所が保健室のような存在で職員室や事務室もそんな空間。特に事務室は来客や電話の対応という仕事があるので、必ず職員が居る。そこで暇な、あるいは大人を求める子どもがやってくる。「卒業したら事務で雇ってえなあ」「事務やったら出来そうや」と半ば本気で言ってくる子がいる。そんな時、生野学園が出来たいきさつから、事務の仕事とはなあと、つい話し出す。
 森下先生という精神科医さんが当時登校拒否という言葉で呼ばれていた子どもたちを診ているうちに、京ロスコラという私塾-子どもたちの安心できる居場所で、信頼できる人がいて好きなことを見付けて、友達が出来て、そして自分に自信がついて活動が広がるという場を作ったんやけど、私塾やからそこで頑張れるようになっても、高卒の資格が取れへんから、先の大学や専門学校に行かれへん。スコラみたいな私塾で高等学校ができたらというのが生野学園のスタートや。ただ学校を創るには時間とお金が必要なんやけど、まずお金はない。また、当時新しく学校を作るのに国や県からの補助金の制度-急増対策助成金-があって、その制度が昭和63年でなくなるので、それまでに申請しないといけない。つまり時間もない。そんな中で森下先生が理事長となり生野学園設立準備財団を創り、公認会計士の米田先生が常務理事として会計士事務所を提供され、そこに村山實、三木三千三、井口仁、宇都宮誠、児島正善、星野浩人、松田忠信、それに私の十人が奔走し、また当時の会計士事務所の職員の方々も書類作成に携わって下さり、平成元年に開校することが出来た。何万人という方々からの寄付と、節目、節目となる時期に出会ったそれぞれの方の心が奇跡を起し「生野学園」を創って下さった。平成元年3月3日に高等学校の設置認可がおりて、4月に一期生が入学し、4月17日に開学記念式典があったんやけど、式典が終わり、片付けをしている時が、本当に嬉しかった。これだけの短期間で寄付を集めたり、申請書類を作ったりという作業は異常やったと思う。でも、本当の大変さはこれからなんよ。
 学校という形は出来た。建物に設備に運動場と。学校ができればどうするか、決まってる事は殆どない。まず学校を作る事が目的だったから。入学式?どうする?寮の生活?どうする? 授業?どうする?食事?掃除?学園祭?…すべてがこの調子だから、でも試行錯誤を繰り返しながら、すべてが一からの創造がそこにあった。もちろん職員だけで決めていったのではなく、一年目にその場にいた一期生も一緒になって学園創りが始まった。
また、100人程度の生徒に30人程の教職員が24時間関わっている生野学園が、長期に渡って安定した経営ができるために、兵庫県からの補助金が少しでも多くいただけるよう当時の兵庫県知事の貝原さんに、初代理事長の黒丸正四郎先生、森下先生、それと宇都宮学園長が、知事が姫路の子どもの館に来られたときに直接お願いした。
 当時『心豊かな人作り運動』を推進されていた兵庫県において、学園の必要性を評価していただき、他の私学より多くの補助金をいただけるようになり、厳しい経営の中、何とかこの20周年を迎えられることができている。
 そんな中事務室は、一からの創造ももちろんあったが、しなくてはならない仕事に追われることから始まった。人が動けばお金も動く、お金が動けば日々の現金の動きから、予算に決算にと会計処理が必要となり、会計の他に、庶務に、管理にと追われることから始まった事務室は、その時から20年経った今も追われ続けている。追われなくなる時は、学園が止まる時と思って、よいのか悪いのかわからないが、追われ続けていることに満足する感覚が知らずのうちに身についてしまった。
 でも、時々立ち止まって、一息ついて後ろを振り返る時がある。それが子どもたちに話している時かな。
 そして、この20年で自然と学んだ事がいくつかある。
 その一つに、準備財団で作業する中で学んだことなんやけど、何かをしようとする時、それをするのに選択肢がいくつかある場合は、あえてしんどいのを選ぶ。そうすればいい結果が得られる事。この事を人に話し、その人が子どもに話し、その子が卒業後しんどい選択肢を選んで頑張り、希望していた仕事に就けたというのを後から聞いて、しんどいことはするもんやなと…。
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