「主体性が育つ場所」 中学校について
篠原義省
創立20周年記念誌より
 生野学園中学校は2002年に設立されました。中学を担当することが決まったとき、自分としての目標を一つ定めました。それは中学を「子どもたちの主体性が育つ場所」とすることです。設立以来、それまで関わってきた高校生とは異なることも多く試行錯誤を繰り返してきましたが、この目標をいつも自分の判断の基礎においてきました。
 一般に「主体性」というのは「人に言われてなにかをするのではなく、自発的な意思や意欲に基づいて行動すること」だと思います。ということは「主体的である」ためにはまず自らの心の中に意思や意欲が存在していなければなりません。そのためには様々な意思や意欲が泉のように湧き上がってくるような心の状態が必要なのです
 しかし、実はこのことが非常に難しいのです。知識であれば外から吸収することが出来ますが、意思や意欲はあくまで自分の中に湧き上がってくるものであって外部から与えられるものではないからです。たとえば「もっとやる気をだしなさい」と言われたからといってすぐに心の中にやる気が湧き上がってくるわけではありません。そしてこれまでにさんざん「ああしなさい、こうしなさい」と言われ続けてきた子どもたちには、
 残念なことに意思や意欲が枯渇してしまっているケースが少なくありません。
こうした子どもたちの中に意思や意欲が育っていくためには安心できる環境の中で長い時間をかけて少しずつ体験を広げていくことが必要になります。小さな種火を少しずつ少しずつ大事に、注意深く、大きくしていくような心積もりが必要になります。
 そして、この過程の中で最も重要なのは「感動」や「喜び」をともなうような「本物の体験」、大人たちに管理されたお仕着せの体験ではなく、自分たちが主人公であるような「わくわくする」体験を子どもたちが味わうことではないでしようか。意思や意欲は「喜び」「驚き」あるいは「悔しさ」といったさまざまな感情を伴う経験の中からしか生まれてきません。くどいようですが、けっして外部から与えられるものではないのです。自分自身のことを振り返っても、今でもはっきりと思い出すことができるような数々の体験によって現在の自分が形作られてきたのだと思えるのです。
 ところが、残念なことに今の子どもたちにはこうした体験をする場が少なくなってしまいました。かつての地域共同体が機能していた頃には、子どもたちは年上の子どもたちから様々なことを学び、子どもたちだけでいろんな体験をしてきました。しかし、今は大人たちが作ったメディアやゲームが中心となっています。また、大人たちがよかれと思ってさせる「体験」も、子どもたちにとっては「わくわくするようなもの」ではないことか多いようです
 生野学園中学校ではこうした「体験」ができる場所でありたいと思い、いろいろな試みをしています。ただ、子どもたちを動かそうとして大人が作りすぎると自発性を潰してしまいます。かといってほったらかしていても何も始まりません。このバランスは本当に難しく「これでよい」ということは決してありません。そのつど子どもたちの様子を確かめながら最後は直感しかないと思います。始めは大人が誘って見本を見せながら、いつの間にか子どもたちが夢中になってしまうような体験ができればいいなと思っています。ずっと試行錯誤の繰り返しですが、そんな体験のなかで子どもたちに人気がある「川遊び」について少しお話しします。
 生野学園のすぐ下には川が流れていて、夏になるとよく川遊びに連れて行きます。始めは水に入るのを嫌がる子もいますが、川が好きな子やスタッフが遊んでいると、少しずつ入り始めます。そして、いったん水に入ってしまうとみんなはしゃぎまくって楽しみます。学園の下の川はそれほど大きい川ではありませんが、何カ所か深いところがあって、そこでは岩の上から水に飛び込むことが出来ます。飛び込みはちょっと勇気が必要ですがスリルがあって爽快なので子どもたちに人気です。中には高さが4~5メートルぐらいある「上級飛び込みポイント」もあって、そこから飛び込むことが出来るということは子どもたちにとって「ちょっと自慢できる」ことなのです。
 何年か前に、川でみんなが楽しそうに遊んでいる中、1年生で入ってきたある子は岸に座ったままつまらなそうにしていました。スタッフか誘っても「おなかの調子が…」とか「体調が‥。」とか言って川には入ろうとしませんでした。実は彼は泳ぐことができなかったのです。結局、その年の夏に彼が川に入ることはありませんでした。
 しかし、負けず嫌いの彼は週末に地元に帰ったときにスイミングスクールに通い、密かに泳ぎの練習を始めていました。2年目の夏、彼はほかの子と混じって川に入り、楽しそうな顔を見せるようになりました。そして3年目の夏、「上級飛び込みポイント」の高い岩の上に立った彼はかなり長い間躊躇した後で、意を決して飛び込みました。功利的な見方をすれば高いところから飛び込むなどということはほとんど役に立たないことです。しかし、一瞬中に浮いたあの瞬間の感覚を彼は一生忘れないのではないかと思います。そして、それは同時に、こうした体験の積み重ねが「子どもたちの主体性」を育てていくのだという確信が持てた瞬間でもありました。
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