2019年6月
小学生の頃の自分は結構「問題児」でした。
実際ある時、担任の先生が不用意に置いていた書類が目に入ってしまい、その中の「生活問題児」の項目に自分の名前を見つけ、なんとも言えない気持ちになったことがあります。
その「問題児」はいったいどんな事をしていたかというと、「先生の言うことを聞かない」「先生と口論する」「上級生に喧嘩を売る」などが多かったと思います。
ただ、これらは好き好んでしていたのではなく、いろいろやらかしてしまったあとは「なんでこんなことをしてしまったんだろう」とか「こんなことしなければよかった」といった後悔の念に駆られ、嫌な気分がしばらく続いたのです。
そしてある時、こうしたことをやってしまう日がなぜか木曜日に集中していることに気づきました。何かをしてしまったあとで思い返すと「あっ、また木曜だ」ということが多くあり、じぶんはこれを「魔の木曜日」と名付けていました。
考えてみれば、木曜日は週の半ばでいろいろな疲れが溜まってくる日です。金曜日になると週末も近づいて気分的には楽になれるのですが、木曜日はそういうわけにいきません。たぶん木曜日は自分にとって一番気分の重たい日だったのだと思います。
そのため普段であれば受け入れられることが受け入れられなかったり、抑えられる感情が抑えきれなくなるといったことが起こったのではないでしょうか。

たぶん人間には他者を快く思わなかったり、あるいは他者を妬んだりする感情があります。(以下こうした感情を「負の感情」と呼ぶことにします。)そして、そうした「負の感情」から他者への攻撃性のようなものが生まれてくると思います。ただ、それをストレートに出してしまうと他者も自分も傷つけることになるので何らかの形で抑えていく必要があると思います。
小学生の頃の自分は時々それを抑えきれなくなっていたので「問題児」とされていたのでしょう。

ではどのようにそれを抑えていけばよいのか?
それには大きく分けて2つのレベルがあると思います。
1つ目は「負の感情」を攻撃性に結び付けないようにコントロールするという個人の心のレベルの話です。
たぶん「負の感情」そのものを無くすことは出来ないと思います。
もしそれを「あってはいけないもの」として否定し無理に心の奥底に沈めてしまうと、かえってたちの悪い形で出てくるのではないでしょうか。
ですから「負の感情」そのものの存在はしっかり受け入れる必要があると思います。そして人間の心は「善」だけでは済まされないところがあるので、そうした「負の感情」もちゃんと位置づけた上で、それと上手く付き合いバランスを取っていく術を身に着けていくことが重要です。「負の感情」に浸りきってしまうのではなく、どこかそれを客観視していく視点を持てば、それが直接の攻撃性につながることを阻止できるのではないかと思います。
もし自分ひとりではそれが出来ないのであれば他者に話を聞いてもらうことで共有し整理していくことも必要でしょう。
そして自分の「木曜日」のように疲れてくると客観視する余裕がなくなるので、意識的に休養することも心がけるほうが良いと思います。
少し抽象的で解りにくい表現になってしまいましたが、「負の感情」と上手く付き合っていく術は個人個人が試行錯誤の中で身につけていくもので、一般的に「こうしたらいい」という方法はないと思います。
自分の場合は中学になると少しはおとなしくなったのですが、小説家の開高健の本で ”Study to be quiet” (穏やかになることを学べ)という言葉を知り、それを心がけることで少し客観視ができるようになったのかと思います。

2つ目は「なぜやってはいけないのか」という理屈のレベルでの話です。
昔であれば「そんなことをするとバチが当たる」で済んだのかもしれませんが今はそういうわけにはいきません。もう少し論理的な理由が必要でしょう。
ただ、原則は次のようなシンプルなもので良いと思います。
「ある行為が自分の所属する組織の目標そのものに抵触するようなことであればするべきではない」ということです。なぜならこうした行為をするということは、その組織に所属している意味そのものを喪失させてしまうからです。
例えば生野学園の目標は「不登校を経験した子どもたちが安心して生活することができる場所である」ことなので、それを妨げる行為はするべきではないということになります。

そしてこの原則を基に細かく「するべきではないこと」を明文化していく組織と、それはせずに一つ一つのケースを原則に照らし合わせて判断していく組織がありますが、それぞれ一長一短だと思います。
前者の長所ははっきりしていて解りやすいことだと思います。反面、硬直化し融通が効かなくなる恐れがあります。また書いてあることに従えばよいので自分で判断する力が育たないことも懸念されます。
後者は柔軟な対応ができる半面、一つ一つのケースごとに原則に抵触するのかどうかを慎重に判断しなければならず、それがわかりにくさに繋がります。また自分の行為が周囲にどのような影響を与えるかを想像して判断していく力を養っていく必要があります。
ちなみに生野学園は後者に属しています。

以上2つのレベルの話をしてきましたが、子どもたちに関わるときにはこの2つをきちんと分けて考えることが重要だと思っています。心のレベルでは共感し、受け入れることがベースになりますが、理屈のレベルでははっきりと一貫していることが求められます。
感情そのものは理解するけれど、それをすべきではない行為につなげてしまうことは止めなければならないのです。
実際の出来事を前にすると、そんなに簡単に切り分けられないとは思いますが、これを常に意識しておくべきだとは思っています。