2019年9月
先月の雑感ではアマゾンの森林火災と地球温暖化への影響についてお話しました。
ただ、地球温暖化の問題を考えるとき、より根本的には現在の私たちの生活を支えている生産、消費活動が日常的に排出する温室効果ガスの問題を避けて通るわけにはいきません。
今回はその問題について考えてみようと思います。

産業革命以後、私達の生活水準が飛躍的に高まる一方で、二酸化炭素に代表される温室効果ガスの排出量も飛躍的に増加してきました。世界気象機関によるとこの間で地球の平均気温は1度上昇したとのことです。温度上昇の原因が人間が排出した温室効果ガスにあるとする説が正しいのかどうか、これは先月の雑感でも述べたように実験室で追試ができる現象とは異なり明確に実証することは出来ません。しかし、この説が現在起きている様々な現象をより良く説明する仮説であるとことが統計的な手法により確かめられているので、ほぼ間違いないと思います。
昨年、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、このままでは2040年には平均気温の上昇が1.5度に達すること、そうなると気候変動による災害の危険性が顕著に大きくなること、上昇を1.5度で止めるためには2050年前後には世界全体の二酸化炭素の排出量を0にしなければならないことを報告しています。 また最近は温度上昇が2度前後になると連鎖反応的に上昇が進み人間の手ではストップできなくなるという説も出てきています。これはあくまで予想ですが、最悪の事態を想定しておくことは意味があると思います。

そんな中でこの9月に国連気候行動サミットが開催されました。
そこでは環境問題で活動されているスウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんのスピーチが注目されました。
トゥーンベリさんは2018年8月からスウェーデン政府に二酸化炭素削減を求めたった一人で議会の前で座り込みをはじめたのですが、その行動はすぐにSNSを通じて多くの若者達に伝わり共感を得て、2019年の3月に行われた学校ストライキ「未来のための金曜日」には100カ国以上、100万人を超える子どもたちが参加したと言われます。
二酸化炭素を排出する安価な化石燃料を使うことは目先の利潤を確保し、当面の経済発展を可能にさせますが、その結果として引き起こされる温暖化による災害のコストなどをトータルに考えればけっしてプラスには働かず、しかもマイナスの部分は将来の若い世代に押し付けられることになります。そのため次世代の子どもたちにすれば将来自分たちが生存の危機にさらされる恐れすらあるのです。トゥーンベリさんの行動が多くの若者達、子どもたちの共感を呼んだ背景にはこうした世代間の不公平があるのだと思います。
こうした流れを受けてトゥーンベリさんは国連でのスピーチで、温暖化の危機を知りながら明確な行動を示さない大人たちに対してストレートに怒りの気持ちをあらわにしました。
大人たちはこの怒りに対し真摯に向きあうべきだと思います。
特に次世代の子どもたちを育てることを目的とする教育関係者は、その子どもたちが将来生きていく環境にも注意を払うべきであり、事態を重く受け止めなければならないと思います。
しかしながら大人たちの一部にはトゥーンベリさんを揶揄したり、貶める発言をしている人がいるのは残念なことです。これでは世代間の不公平の問題が拡大されるだけではないでしょうか。

ただ実際に平均気温の上昇を1.5度までに抑えることは難しい問題であることは確かです。 これを実現するには個々人の意識を促すといったレベルの対応ではなく、社会システムレベルでの変更が必要なのではと思います。

ではいったいどんな変更が必要なのか?以下、そのことについて考えてみます。
現在、私たちは資源や所得の配分を市場を通じて行う「市場経済社会」に生きています。
市場経済は、予め政府や第三者が立てた生産計画を強制されるのではなく、個々の生産者が自らの利潤が最大になるように生産し、個々の消費者は自らの効用が最も高くなるように購入するという合理的な行動をとれば、市場での価格の変動を通して社会全体の需要と供給が一致した状態が実現していくというシステムを土台とした経済制度です。
確かにこれは優れたシステムで、20世紀に実現した社会主義の計画経済がことごとく失敗に終わったことを考えると、これに変わる経済システムは考えにくいと思います。

問題はこの市場経済システムが万能ではないことにあります。
20世紀の後半、ソ連などの社会主義圏が崩壊していく中で市場経済システムが万能であるかのように言われた時期があります。新自由主義の経済学が主流となり、どんな部門でもなるべく政府の介入を減らし市場に任せればうまくいくという考えのもとで規制緩和や民営化が実施されました。
こうした政策によってある程度の経済発展がもたらされたことは確かですが、実際には様々な問題も生まれてきたのです。
21世紀に入るとリーマン・ショックが起きました。これは規制緩和を進めてきた金融機関での破綻であり、政府の介入を極力抑えるべきだという理論の結果が、大量の公的資金による救済だった言う皮肉な結末になりました。そして日本では今も株価を維持するために大量の年金資金が投入され続けています。
また所得格差の拡大も進みました。1%の富裕層が世界の富の半分を所有するいう事態も問題になりました。 そして今回話題にしている地球温暖化の問題も、個々の生産者が自らの利潤が最も大きくなるように行動する市場に任せていたのでは悪化する一方で解決の目処は立たないでしょう。

このように見てくると今の私たちが直面しているのは、市場経済システムの限界が露呈しているが、それを補完する社会システムはまだ構築できていないという事態ではないでしょうか。

こうした社会システムの問題に対し経済学者の宇沢弘文さんが深い考察をされています。
宇沢さんは若い頃はアメリカのシカゴ大学などで最先端の数理経済学を研究され、帰国後は水俣病を始めとする公害問題などに向き合い、地球温暖化の問題に対しても数々の提言をされています。残念ながら宇沢さんは2015年に亡くなられましたが、「社会的共通資本」という重要な考えを提起されています。

「社会的共通資本」とは個人が管理運営する「私的資本」とは異なり社会全体の共通の資産として社会的な基準にしたがって管理運営されるべきものです。
宇沢さんは社会的共通資本について「社会的共通資本は一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会装置を意味する」と言っておられます。
具体的には土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの自然環境に始まり、道路、上下水道、公共交通機関、電力、通信などの社会的インフラや、教育、医療、金融、司法、行政といった制度資本も含まれます。 そしてこの運営にあたって宇沢さんは「重要なのは社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。」と指摘されています。
こうした分野は市場経済に委ねてはならないものなのです。
市場に委ねる部分と、市場経済の外にあるべきものを峻別し、外部のものに関してはそれを管理運営していく制度を構築していくことが求められるわけです。

このような考えに沿って具体的な制度を構築していくことが課題になります。
宇沢さんは例えば地球温暖化に対しては「炭素税」の導入を提唱されています。炭素税によって化石燃料が割高になれば利潤追求の上でも再生可能エネルギーに移行していくはずです。ただ一律の炭素税制度では先進国と発展途上国の間に不公平が生じ、発展途上国の同意は得られないので宇沢さんは税率を一人あたりの国民所得に比例させるべきだとしています。

実際には温室効果ガスを抑制する制度の構築は各国の思惑が入り乱れ、同意は困難を極めると思われますが、それを後押しするのがトゥーンベリさんを始めとする若い世代の行動だと思います。自分たちの行動によって未来が作られていく、それが民主主義の核心ではないでしょうか。