2021年5月
先日、全国の小学6年生と中学3年生を対象に「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)が実施されました。実施教科は小6が国語と算数、中3は国語と数学です。昨年はコロナによる休校で中止されたので2年ぶりの実施でした。
かなり大掛かりな調査になるため一時期は対象を絞った抽出調査になったこともありますが、今は原則として全員を対象とし、公立の学校は100%、私学も約半数の学校が参加しているようです。ちなみに生野学園中学校は不登校を経験した生徒を対象としているため学習の進度に個人差があることを理由に参加していません。

出題された問題は新聞等で公表されているので誰でも見ることが出来ます。中3の数学にざっと目を通した限りでは、問題そのものはよく練られており、単に知識を問うだけでなく思考力や表現力を試す問題で、OECDが実施している学習到達度調査(PISA)を意識したものと感じました。

ただ、この調査をめぐっては様々な問題点も指摘されています。
その中で自分の考える一番の問題は、調査がその目的通りに機能していない面があるのではないかという点です。今回はそのことについてお話してみようと思います。

初めに文部科学省の掲げる全国学力テストの目的を引用しておくと
「義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し、教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図るとともに、学校における児童生徒への教育指導の充実や学習状況の改善等に役立てる。さらに、そのような取り組みを通じて教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。」
となっています。

この目的通りに、調査によって様々な問題点が判明し、改善につながればよいのですが、実際にはうまく機能していない側面があると思っています。

まず、調査の結果が学校や自治体ごとの平均点というかたちで明確に数値化されると、どうしても評価や序列化が起こってきます。実際「子どもを少しでも点数の高い学校に入れたい」と思う親はいるし、「他の自治体よりも平均点が低くなることは許されない」と感じている人たちもいるので、結果を比較して評価、序列化する動きが出てくるのはある意味仕方がないことなのかもしれません。

ただ、問題はそれに対する学校や自治体の対処の仕方なのです。
学校や自治体によっては学力テストの平均点を上げるために、いわゆる「テスト対策」として「過去問」や「類似問題」をくり返し子どもたちにやらせています。
文部科学省の掲げる目的に照らし合わせれば、本来「全国学力テスト」は日常の学習の成果と問題点を調べるために実施し、判明した問題点を改善することで学校間、地域間の格差をなくし、義務教育の機会均等につなげていくべきもののはずです。ところが「学力テストの点数を上げる」こと自体が目的化され、そのための対策が実施されているのです。
確かに事前に練習したのと似た問題が出ればある程度は点数は上がると思います。ただ、そのためのスキルは本来つけるべき多くの力のほんの一部、限られたものに過ぎないのではないでしょうか。手っ取り早く点数を上げるために「付け焼き刃」的な対応がなさせているのではないかと思うのです。

確かに「学力テストの平均点を上げる」という目標に限れば、それは効率的な対応なのでしょう。しかし、こうした対応では、例えば問題の出題傾向が変われば、平均点は下がってしまうかもしれません。 本来であれば、じっくりと腰を据えて、たとえ出題傾向が変わってもそれに対応できるような力をこそつけるべきだと思うのですが、そうした取り組みは成果が現れるまでに時間がかかります。試行錯誤を繰り返す中で得た発見や気付きに基づく力は、自分のものとしてしっかりと根づき、本物の力になりますが、その習得にはどうしても時間がかかるのです。

たぶん多くの教員の方はそうした力をつけることの重要性を感じてはおられるのだと思います。
しかし他の学校や地域で「手っ取り早い」対策が取られれば、取り残されないために自分たちの学校や地域もそれに追従せざるを得なくなり、現場の教員も疑問は感じつつも従わざるを得ないのではないでしょうか。幸い実現はしませんでしたが一部の自治体では「全国学力テスト」の結果を教員の評価に反映させようとする動きすらありました。もしこうした傾向が強くなれば、今以上に手っ取り早く点数を上げる「その場しのぎ的な」対応が多くなるのではと危惧します。
もちろん、こうした「対策」がすべての学校や自治体でなされているわけではありませんが、残念ながらこの調査が本来の目的と異なる動きにつながってしまっていることも否定できないと思います。

実はこうした「付け焼き刃」的な対応は「全国学力テスト」に限らず、今の日本の教育の抱える根本的な問題でもあるとも思っています。
「深い理解はともかく、とりあえずテストで点を取れるようなテクニックを教えてしまう」というのは残念ながら日本の教育現場では結構行われていると感じています。そして、いったんこうした対応をしてしまうと、ますます理解が追いつかなくなるので、さらに「その場しのぎ」的な対応に頼らざるを得なくなるという悪循環に陥ってしまうのです。
この雑感でも何度かお話したことですが、本来学習というものは、わからなかったり、出来なかったことが、様々な試行錯誤や他者からのアドバイスによって、わかったり、出来るようになるという主体的な体験を伴うものです。そして「わかった」「出来た」という体験は「喜び」をともない、その「喜び」がさらに学習を進めていくモチベーションになっていくのです。
ところが「その場しのぎ」の対応をくり返していると、こうしたモチベーションが失われ、子どもたちから知的好奇心が失われていきます。その結果、なんとか理解してもらおうと一生懸命説明しても、子どもたちからは「長い説明はいいからやり方だけ教えて」という残念な反応が帰ってきたりするわけです。

以前、内閣府で行った日本の子どもたちの意識の国際比較では「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」という項目が他の国(韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン)に比べかなり低くなっていました。これはかなり由々しき事態だと思います。
その原因は簡単には特定できませんが、もしかすると、テストに向けた「その場しのぎ」的な対応もひとつの要因になっているのではと推測しています。

ゆっくりでもいいから学ぶ喜びを感じられる学習を広めていくことの必要性を痛感します。