「ゆるむ」ことの大切さ
夏休みなので、「休み」の話です。
夏休みというと、数学者の岡潔(おか・きよし 1901~1978)が「春宵十話」という本の中で書いていた話を思い出します。まず、それを紹介します。
岡潔は、ある数学の分野で当時はまだ誰にも解けなかった難問にチャレンジすることを決意したのですが、さすがに難しく、毎日朝から晩まで考えても全く手がかりもつかめません。
そんな状態が3ヶ月も続き、もうどんな無茶な、荒唐無稽の試みも考えられなくなってしまい、それでも無理にやっているとはじめの十分ぐらいはなんとか集中できても、あとは眠くなってしまう状態になったそうです。

そんな時に友人に誘われて夏休みを北海道で過ごすことになったのですが、問題の方はあいかわらずで、夏の間は借りた部屋のソファーでほとんど寝て過ごしてしまったそうです。
岡潔はこの時のことを「(知人に)嗜眠性脳炎というあだ名をつけられてしまった。」と書いています。

ところが9月に入り、いよいよ帰らねばと思ったとき、朝食のあとふと考えが一つの方向に向いて内容がはっきりして、どうやって問題を解いたらよいかがすっかりわかってしまったそうです。

そしてその時の喜びを、
「このときはただうれしさでいっぱいで、発見の正しさには全く疑いを持たず、帰りの汽車の中でも数学のことなど何も考えずに、喜びにあふれた心で車窓の外に移り行く風景をながめているばかりだった。」 と書いています。

さらに、この経験について 「全くわからないという状態が続いたこと、その後に眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。」、「緊張と、それに続く一種のゆるみが必要」と述べています。

「ゆるみ」とは一見、何もしていない無意味な時間に見えても、実は意識下でいろいろなことが熟成されていく重要な時間であり、表面的な意識からすると何も考えていないように見えても、脳の深い部分は実はものすごく活動していて、ふとした瞬間にその成果がが意識の上に登ってくるのではないでしょうか。

そして、大数学者の岡潔のように徹底的に考えたり、すごい発見をするわけではないですが、普通の人、特に子どもたちにとっても、日頃の学校生活から離れる「ゆるみ」の時間を持つことは重要なのではないかと思うのです。

日々の学校生活は余裕もなく、たくさんの知識や体験を積み込んだり、たくさんの感情にさらされたりする、ある意味すごく緊張した無我夢中の状態なのではないか。そして積み込んだ未整理なままの知識や体験や感情が自分の中で収まるところに収まり、意味あるものになっていく=「熟成される」ためには、やはり「ゆるみ」の時期が必要なのではないか。そんなふうに思います。

その意味で夏休みのような長期の休みは絶好の「ゆるみ」の時間なのではないでしょうか?

ところが、人は何もしていないことに不安を覚えたり、罪悪感を感じてしまい、何かをしたり、させたりしがちです。ついつい「ゆるむ」ことなく知識や体験を積み込み続けてしまい、結局それらは消化不良となり身につかず、更に悪い場合には新たなものを受け付けなくなってしまう、そんなことが多々あるように思います。

実際に夏休みの期間を短縮しようとしている自治体があったり、期間は変えなくても補習や大量の宿題、クラブ活動などで「ゆるみ」の時間が少なくなっているのではないか、きちんとしたデータがないので明確なことは言えませんが、自分の子供時代と比べて随分と忙しくなっているような気がします。
創造的な人材を育てるというのが日本の教育のひとつの目標なのであれば、これは逆方向なのではないかと思います。

ひとつ注意しておきたいのは、知識や体験を集中して積み込むこと自体は問題ないということです。
学びというものは一つ一つのことを階段を登るように理解していくという単純な進み方をするものではなく、ある時期は意味はわからなくても集中して覚えるだけ覚える事があってもかまわない、それが後になって、つまり「ゆるみ」を経て熟成された段階で「あっ、そういう意味だったんだ」とわかったり、「そういうことだったのか」という気づいたりするものです。
「集中とそれに続くゆるみ」がやはり必要なのです。

ところで、日頃は考えようと思っても思いつかないことが、気を抜いたときにふと浮かんでくるというのは面白い問題で、「主体性とはなにか?」という問題にもつながっていきますが、これはまた別の機会に考えてみたいと思います。

さて、夏休みの良いところは「ゆるみ」だけではありません。
これまでの話とは逆に、日頃ボーっと「ゆるん」でいた人(?)にとっては夏休みこそ何かに打ち込む良い機会になるかもしれません。
学校の勉強が嫌いな子は、夏休みこそ好きなことに打ち込める貴重な時間かもしれません。
未知の場所に行ってみるのも面白そうです。
あるいはアルバイトに打ち込んでほしいものを手に入れるというのも一考です。

いずれにせよ「日頃の学校生活から離れて、自分の意志で自由に使えるまとまった時間」というのが夏休みの素晴らしいところであり、そこで得る経験はとても貴重なものになると思います。
そんなこともあって生野学園の夏休みは「まったく自由に使える40日間」です。(スタッフはそうはいきませんが・・)

最後に、もう一つ引用。
夏ではなく「冬休み」の話ですが、西脇順三郎(にしわき・じゅんぶろう)の詩「冬の日」の一節を紹介しておきます。
こんな休みの過ごし方も良いかもしれません。

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この村でラムプをつけて勉強するのだ
「ミルトンのように勉強するのだ」と
大学総長らしい天使がささやく
だが梨のような花が藪に咲く頃まで
猟人や釣人と将棋を指してしまった
・・・
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