学園の周りの自然にふれて思うこと
高星山と生野学園
今月は生野学園を取り巻く「自然」の話から始めます。

生野学園の背後には高星山(たかぼしやま)が控えています。
写真のように特徴のある形をした山で、その麓のゆったりとした斜面に生野学園は在るのです。
生野学園で生活していると毎日見上げることになる高星山は、ある意味「学園を象徴するような存在」で、学園祭を「高星祭(High Star Carnival)」と名付けたり、親の会を「生野高星親の会」と呼んだりしています。

ただ、写真に見えている「頂上」まで登ってみると、実は背後になだらかな尾根が続いており本当の頂上ではありません。そこまでが急なため下から見るとそこが頂上のように見えてしまうのです。後に続く尾根をさらに登っていくと小さな頂にたどり着きます。この頂は国土地理院の地形図によると923mとなっていますが、そのさらに奥にも1016mの頂が有り、どちらが高星山の頂上なのかは定かではありません。
この付近の山は登り始めは急ですが、頂上付近はなだらかな高原になっているのが特徴で「周氷河地形」というようです。

写真に見えている「頂上」までは2時間ほどでたどり着けるので、以前は子どもたちを連れて時々登っていましたが、残念なことに2004年の台風23号の被害をうけ、植林されていた杉がかなり倒れて道が荒れてしまい、今では登るのが難しくなっています。(倒木した箇所を迂回すればなんとか登ることは可能ですが)
高星山と生野学園
栃原川と高星山
生野学園の下には栃原川が流れています。
栃原川は生野学園から6〜7キロ北の日本海側との分水嶺付近を水源として、南へ9キロほど流れて市川に合流しています。この間、上流にダムのない自然な流れが続き、川にそって栃原の村が展開していています。生野学園はその一番南の端にあるのです。
栃原川には美しい水が流れており、特別天然記念物のオオサンショウウオや、アマゴ、カワムツなど多くの魚も生息しています。

生野学園はこうした豊かな自然に囲まれていますが、それは「人里離れた手付かずの自然」なのではありません。
実際、生野学園が建っている場所は、以前は村の人たちが牛を放牧するために利用していた場所でした。また栃原川には上流部に村の水道設備があり、村の人たちは(生野学園も)その水を使って生活しています。また川にいくつかある堰からは村の田んぼに水を引いています。
このように、生野学園の周りに広がる山や川は古くから人が手を入れ、利用してきた里山、里川なのです。
生野学園でも毎年夏になると親の会の人たちの協力を得て周辺の草刈りをして整備しています。
栃原の村の人たちが増えすぎた灌木を切ってくれることもあります。「きこり部」の子どもたちとスタッフで大きくなりすぎた木を切ることもあります。
もしこうしたことをしなければ、たぶん何年かすると「人を寄せつけない自然」に戻ってしまうのではないかと思います。

以前、「子どもの未来セミナー」の講師として解剖学者の養老孟司さんをお招きしたことがあります。その講演では多岐にわたって興味深いお話を聞くことが出来ましたが、その中で「人工物と自然の違い」と「自然とのかかわり方」についてのお話がありました。
以下、要約してみます。

『人工物というのはあらかじめ人間の脳の中に「設計図」があり、それを実体化したものである。そのため人間は人工物の意味はすべて理解する事が出来る。
これに対し、自然には「設計図」はない。そのためその意味を根本から理解することは出来ないし、思いどおりにコントロールすることは不可能である。
それでは人間はどう自然と接していったらよいのか?
まずは自然は人工物と違い人間からは独立した法則で動いていることを認めないといけない。
そのうえで自然に少しづつ働きかける事を続けていくしかない。
それを日本では「手入れをする」と言っている。
「手入れ」は自然を人工物で置き換えるのではなく、自然に働きかけて少しづつ人間の望む姿に変えていくことだ。「手入れ」は粘り強く継続してはじめて効果が現れ、自然の恩恵にあずかることも出来るようになる。それでも自然は時に猛威を振るい、努力を無にしてしまうこともある。でもそれは「仕方ない」こととして受け入れ、関わり続けていく忍耐、努力が必要である。』

だいたいこんな内容だったと思います。

生野学園の周辺を散策していたり、栃原川に遊びに行ったりすると古い石垣を見かけることがよくあります。たぶん大水の被害を抑えたり、田んぼに水を引いたりするためにつくられたものではないかと思います。それは大きな動力機械もなかった頃に地道な作業で築かれたもので、相当の労力を必要としたのではと思います。台風や大水で壊され修復したこともあったかもしれません。
こうした作業の跡を見ると、養老さんのいうような粘り強い忍耐で「手入れ」を続けてきた結果として今の生野学園周辺の自然があることを実感します。

一方で近年の栃原川の大量のコンクリートを使った河川工事には疑問を覚えることもあります。
栃原川も2004年の台風23号では河川の状態がかなり変わるような大水が出たため、支流を中心に災害防止のための堰堤がかなりつくられたのです。
災害防止は絶対に必要なのですが、生き物の生息環境を破壊してしまうような工事がどこまで必要なのかは真剣に検討するべきだと思います。
ただこれには、植林の拡大→林業の衰退→保水林の荒廃→河川の氾濫という大きな流れが背景にあるので、簡単な「手入れ」では回復しない難しい問題であることも確かです。

最後に養老孟司さんの講演の話に戻ります。
養老さんが「自然」の話をされたのは「子どもというのは『自然』なんだ」という話の流れの中でした。
「子どもは自然だ」というのは「子どもはそもそも親や教育者の思ったようにはならないんだ」ということで、親や教育者が勝手に頭の中に「設計図」を思い描き、子どもをそのように育てようとしても、そんなことは本来無理なことなんだ、ということです。
その上で養老さんは子育てにおいては次のことが重要だと話されました。
「まず子どもは独自のルールで動く存在であることを完全に認めること」
「でもほっておいてはダメだから毎日毎日関わり、粘り強く長い年月をかけて少しづつよい方向に導いていくこと」
つまり自然に対する「手入れ」と同じなんだということです。
明快でわかりやすく、かつ深い言葉だと思います。
栃原川と高星山
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