「納得する」とはどういうことだろうか?
新型コロナウイルスの新規感染者数は8月末に全国で一日あたり2万5000人を超えるというピークを迎えましたが、幸いその後は減少傾向が続き、9月末の現在は全国で2000人程度になっています。
ただ不思議なのは減少に向かった原因です。
第4波まではなんとなく緊急事態宣言が発令されたことで人の流れが抑制され、その効果が現れたのかと思っていました。しかし、今回は人々が緊急事態宣言に慣れてしまったせいか、以前に比べると人の流れが減ったという実感がありません。じっさい主要駅の利用者数は以前に比べるとあまり減っていなかったというデータもあり、少なくともその効果は限定的だったのではないかと想像します。
では人流抑制が減少の主因ではないとすると一体何が原因なのか?
ひとつは「季節性の要因だ」という説明があります。でもそれでは季節の推移によって何が変わり、それがどう影響したのかということがイマイチはっきりしません。「季節性」という言葉は漠然としすぎていると思います。
当然、ワクチンの接種が進んだことの効果も考えられます。ただ、感染が拡大していた8月の間もワクチン接種は一定のペースで順調に進んでいたので、9月になって急に感染者数が下がり始めたことの説明としては弱いのではという印象があります。接種率が一定値を超えたことで効果が一気に現れた可能性もありますが、そのメカニズムが示されているわけではありません。
また最近は「エラーカタストロフ仮説」という説明もあるようです。これは簡単に言うと「ウイルスの増殖速度が早くなりコピーエラーによる変異が一定以上に多くなると自己複製ができなくなり、ウイルスが自滅していく。」ということのようです。これも原理としては「あり得る」とは思うのですが、具体的に今回の第5波ではウイルスの変異がどう進んで、どこで臨界点を超えたのかという具体的なデータがあるわけではなく、自分の勉強不足かもしれませんが「確かにそうだ」という納得には至りません。
海外を含めなるべく多くの情報に目を通しているつもりではあるのですが、今の所「これだ」と納得する説明には出会えていないのが現状です。
もちろん「複合的な要因」という可能性もあるので、原因はひとつには絞りきれないのかもしれませんが、少なくとも複数の要因がどう作用するのか、専門家の皆さんにはそのメカニズムを解明してほしいと思っています。
以上、新型コロナウイルスの新規感染者数が減少した原因の説明に「自分がまだ納得できていない」という話でした。
すると「では一体どういう条件が整えば納得できるのか?」という疑問が生じますが、直接そのことにふれるまえに、少し回り道をして、一般にものごとが「納得できる」とはどういうことなのかについて考えてみたいと思います。
まずはじめに確認しておきたいのは「なぜか?」という問いを突き詰めていくと限りがないということです。もともと因果関係の連鎖には限りがありません。
単純化して言うと、
Aが起きたのはBが原因である → Bが起きたのはCが原因である → Cが起きたのはDが・・ というふうにいくらでも続きます。そして実際はひとつの現象には複数の要因が考えられるのでもっと複雑になるはずです。
そのため「なぜか?」という問いも、どこかで区切りをつけなければいつまでも続いてしまうことになります。
たぶん実際には「なぜか?」という問いを必要以上に「深堀り」せず、ポイントをしぼった範囲内で「納得している」のだと思います。
例として「地球に四季があるのはなぜか?」という問いを考えてみます。
ひとつの説明として以下のようなものが考えられるでしょう。
「地球の形はほぼ球体であり、太陽の周りを公転していて、その一周を1年としている。地球の自転の軸は公転面に対して垂直ではなく、約23.4度傾いている。そのため太陽を一周する間で太陽光の当たる角度と日照時間が変化する。地表面と太陽光の角度が垂直に近づき、日照時間が長くなる時期が夏、逆に太陽光の角度が0に近づき日照時間が短くなるのが冬になる。そして冬から夏に変化する中間が春、夏から冬に変化する中間が秋となる。」
こうした説明に対し、普通は「なぜ地球は球体なのか」とか「なぜ地球は太陽の周りを回っているのか」ということは敢えて問わず「事実」として受け入れているのではないでしょうか。
「なぜ4つに分けるのか」というのも興味深い疑問ではありますが、それを問題にする人はさほど多くないかもしれません。
また真上から照りつける太陽光の強さや、低い位置の太陽光の弱々しさは実体験として感じているはずなので、太陽光の角度で寒暖の差が生じること感覚的にも納得出来るのではと思います。
ですから「自転軸が傾いた状態で太陽を一周する地球」をイメージでき、その過程で「太陽光の角度と日照時間が変化する」ということがわかれば、この説明を「納得できる」のではないでしょうか。
このように「すでに事実として受け入れていること」や「実体験から得ている感覚」と「説明されている内容」がうまくつながれば、人はその説明に納得が出来て、説明された現象が「自分の世界」の中に無理なく収まったという感覚を得られるのではないか、逆にそれらがスムーズにつながらない場合は「納得できない」「腑に落ちない」と感じるのだと思います。
ただ、この説明には不十分なところがあります。
なぜなら時として、新しい事実を受け入れるためには「これまで受け入れていた事実」や「正しいと感じていた感覚」の方を変更しなければならないケースもあるからです。
例えば人類は20世紀初頭に物理学の分野で量子力学と相対性理論の誕生という大きな認識の枠組みの変化を体験しています。技術進歩に伴いミクロ、マクロの両面での観測が進むと、これまでの概念では説明できない現象が観測されるようになり、それを説明するためには「これまで受け入れていた事実」や「あたりまえのように感じていた感覚」の方を修正する必要に迫られたのです。量子力学では位置、速度、波、粒子といった概念を根本から修正し、量子という全く新しい概念を受け入れなければなりませんでしたし、相対性理論では人間の認識の最も基本的な部分である時間と空間の概念を修正することを余儀なくされました。そしてその結果、人間の認識は飛躍的に拡大し、科学技術の進歩がもたらされたのです。
また今もなおこれらの理論の学習が難しいのは私たちが日常生活の中で感じている感覚とのズレが大きいせいなのではと思っています。
いきなり人類規模の根本的な話になってしまいましたが、言いたかったことは、ふつう人間の認識は「すでに受け入れている事実」や「正しいと感じている感覚」をもとにした認識の枠組みの中に新しい事象が加わることで徐々に広がっていくのですが、その枠内では説明出来ない事象が出現した場合は、枠組みの方を見直したり、修正していく必要があるということです。
そしてこれはたぶん個人レベルでの認識にも当てはまるのではと思っています。
ところが人間はどうも既存の枠組みにとらわれがちで、修正したり作り直すことには抵抗があるようです。確かにこれまで正しいと信じていたことを見直し、新しいものを受け入れるのは大変な作業なので、できれば既存の枠組みに収まってくれればと思う気持ちもわかります。
ただ「開眼する」とか「目からウロコが落ちる」と表現されるような大きな「気づき」は、たぶん認識の枠組みそのものの変化も伴うのであり、その人にとってとても重要な変化だと思います。
ですから常日頃から「あたりまえと思っていること」もそれが本当に正しいのかを疑ってみたり、自分の感覚を妄信していないかとチェックすることが大切で、もしかすると新たな「気づき」が思ってもみなかった認識の広がりをもたらしてくれるかもしれません。
さて最後に話を戻して新型コロナウイルスの第5波の減少要因についてです。
お話したように今現在は既存の説明に「納得ができていない」のですが、今後自分の今の認識の枠組みの中で「納得できる」説明に出会えるのか、それとも今の自分のウイルスや感染拡大のメカニズムに対する認識そのものを修正しなければならないのか、それもまだわかりません。
ただ前述した「エラーカタストロフ仮説」にはなんとなく自分のウイルスに対する認識を改めてくれる可能性を感じるので、すこし追いかけてみようかなと思っています。
ただ不思議なのは減少に向かった原因です。
第4波まではなんとなく緊急事態宣言が発令されたことで人の流れが抑制され、その効果が現れたのかと思っていました。しかし、今回は人々が緊急事態宣言に慣れてしまったせいか、以前に比べると人の流れが減ったという実感がありません。じっさい主要駅の利用者数は以前に比べるとあまり減っていなかったというデータもあり、少なくともその効果は限定的だったのではないかと想像します。
では人流抑制が減少の主因ではないとすると一体何が原因なのか?
ひとつは「季節性の要因だ」という説明があります。でもそれでは季節の推移によって何が変わり、それがどう影響したのかということがイマイチはっきりしません。「季節性」という言葉は漠然としすぎていると思います。
当然、ワクチンの接種が進んだことの効果も考えられます。ただ、感染が拡大していた8月の間もワクチン接種は一定のペースで順調に進んでいたので、9月になって急に感染者数が下がり始めたことの説明としては弱いのではという印象があります。接種率が一定値を超えたことで効果が一気に現れた可能性もありますが、そのメカニズムが示されているわけではありません。
また最近は「エラーカタストロフ仮説」という説明もあるようです。これは簡単に言うと「ウイルスの増殖速度が早くなりコピーエラーによる変異が一定以上に多くなると自己複製ができなくなり、ウイルスが自滅していく。」ということのようです。これも原理としては「あり得る」とは思うのですが、具体的に今回の第5波ではウイルスの変異がどう進んで、どこで臨界点を超えたのかという具体的なデータがあるわけではなく、自分の勉強不足かもしれませんが「確かにそうだ」という納得には至りません。
海外を含めなるべく多くの情報に目を通しているつもりではあるのですが、今の所「これだ」と納得する説明には出会えていないのが現状です。
もちろん「複合的な要因」という可能性もあるので、原因はひとつには絞りきれないのかもしれませんが、少なくとも複数の要因がどう作用するのか、専門家の皆さんにはそのメカニズムを解明してほしいと思っています。
以上、新型コロナウイルスの新規感染者数が減少した原因の説明に「自分がまだ納得できていない」という話でした。
すると「では一体どういう条件が整えば納得できるのか?」という疑問が生じますが、直接そのことにふれるまえに、少し回り道をして、一般にものごとが「納得できる」とはどういうことなのかについて考えてみたいと思います。
まずはじめに確認しておきたいのは「なぜか?」という問いを突き詰めていくと限りがないということです。もともと因果関係の連鎖には限りがありません。
単純化して言うと、
Aが起きたのはBが原因である → Bが起きたのはCが原因である → Cが起きたのはDが・・ というふうにいくらでも続きます。そして実際はひとつの現象には複数の要因が考えられるのでもっと複雑になるはずです。
そのため「なぜか?」という問いも、どこかで区切りをつけなければいつまでも続いてしまうことになります。
たぶん実際には「なぜか?」という問いを必要以上に「深堀り」せず、ポイントをしぼった範囲内で「納得している」のだと思います。
例として「地球に四季があるのはなぜか?」という問いを考えてみます。
ひとつの説明として以下のようなものが考えられるでしょう。
「地球の形はほぼ球体であり、太陽の周りを公転していて、その一周を1年としている。地球の自転の軸は公転面に対して垂直ではなく、約23.4度傾いている。そのため太陽を一周する間で太陽光の当たる角度と日照時間が変化する。地表面と太陽光の角度が垂直に近づき、日照時間が長くなる時期が夏、逆に太陽光の角度が0に近づき日照時間が短くなるのが冬になる。そして冬から夏に変化する中間が春、夏から冬に変化する中間が秋となる。」
こうした説明に対し、普通は「なぜ地球は球体なのか」とか「なぜ地球は太陽の周りを回っているのか」ということは敢えて問わず「事実」として受け入れているのではないでしょうか。
「なぜ4つに分けるのか」というのも興味深い疑問ではありますが、それを問題にする人はさほど多くないかもしれません。
また真上から照りつける太陽光の強さや、低い位置の太陽光の弱々しさは実体験として感じているはずなので、太陽光の角度で寒暖の差が生じること感覚的にも納得出来るのではと思います。
ですから「自転軸が傾いた状態で太陽を一周する地球」をイメージでき、その過程で「太陽光の角度と日照時間が変化する」ということがわかれば、この説明を「納得できる」のではないでしょうか。
このように「すでに事実として受け入れていること」や「実体験から得ている感覚」と「説明されている内容」がうまくつながれば、人はその説明に納得が出来て、説明された現象が「自分の世界」の中に無理なく収まったという感覚を得られるのではないか、逆にそれらがスムーズにつながらない場合は「納得できない」「腑に落ちない」と感じるのだと思います。
ただ、この説明には不十分なところがあります。
なぜなら時として、新しい事実を受け入れるためには「これまで受け入れていた事実」や「正しいと感じていた感覚」の方を変更しなければならないケースもあるからです。
例えば人類は20世紀初頭に物理学の分野で量子力学と相対性理論の誕生という大きな認識の枠組みの変化を体験しています。技術進歩に伴いミクロ、マクロの両面での観測が進むと、これまでの概念では説明できない現象が観測されるようになり、それを説明するためには「これまで受け入れていた事実」や「あたりまえのように感じていた感覚」の方を修正する必要に迫られたのです。量子力学では位置、速度、波、粒子といった概念を根本から修正し、量子という全く新しい概念を受け入れなければなりませんでしたし、相対性理論では人間の認識の最も基本的な部分である時間と空間の概念を修正することを余儀なくされました。そしてその結果、人間の認識は飛躍的に拡大し、科学技術の進歩がもたらされたのです。
また今もなおこれらの理論の学習が難しいのは私たちが日常生活の中で感じている感覚とのズレが大きいせいなのではと思っています。
いきなり人類規模の根本的な話になってしまいましたが、言いたかったことは、ふつう人間の認識は「すでに受け入れている事実」や「正しいと感じている感覚」をもとにした認識の枠組みの中に新しい事象が加わることで徐々に広がっていくのですが、その枠内では説明出来ない事象が出現した場合は、枠組みの方を見直したり、修正していく必要があるということです。
そしてこれはたぶん個人レベルでの認識にも当てはまるのではと思っています。
ところが人間はどうも既存の枠組みにとらわれがちで、修正したり作り直すことには抵抗があるようです。確かにこれまで正しいと信じていたことを見直し、新しいものを受け入れるのは大変な作業なので、できれば既存の枠組みに収まってくれればと思う気持ちもわかります。
ただ「開眼する」とか「目からウロコが落ちる」と表現されるような大きな「気づき」は、たぶん認識の枠組みそのものの変化も伴うのであり、その人にとってとても重要な変化だと思います。
ですから常日頃から「あたりまえと思っていること」もそれが本当に正しいのかを疑ってみたり、自分の感覚を妄信していないかとチェックすることが大切で、もしかすると新たな「気づき」が思ってもみなかった認識の広がりをもたらしてくれるかもしれません。
さて最後に話を戻して新型コロナウイルスの第5波の減少要因についてです。
お話したように今現在は既存の説明に「納得ができていない」のですが、今後自分の今の認識の枠組みの中で「納得できる」説明に出会えるのか、それとも今の自分のウイルスや感染拡大のメカニズムに対する認識そのものを修正しなければならないのか、それもまだわかりません。
ただ前述した「エラーカタストロフ仮説」にはなんとなく自分のウイルスに対する認識を改めてくれる可能性を感じるので、すこし追いかけてみようかなと思っています。