共通テスト 数学の難問化に思うこと
1月15日と16日に大学入学共通テストが行われました。
長く続いたセンター試験から共通テストに移行して2回目ということもあり、まだまだ「どんな変化があったのか」を見通せない中での実施でしたが、まず話題になったのは数学の問題の難しさでした。終了直後から多くの受験生たちがSNSに「苦情」や「嘆き」の投稿をしたことから注目を集め、学校や予備校の先生たちも「難しすぎる」「時間が足りない」といったコメントを発していました。実際受験生たちはかなり苦戦したらしく、中間集計によると数IAでは昨年よりも平均点が17点ほど下がり、センター試験時代も含め過去最低になったとのことです。
自分も翌日に新聞発表された数学の問題を実際に解いてみましたが、かなり手強い印象を受けました。自分は生野学園に来る前は予備校で数学を教えていたので受験数学に関してはそれなりの経験を持っているつもりなのですが、とても時間内(数IAは70分、数IIは60分)に完答できる自信はありません。しっかり考えて答えるためにはそれぞれ2時間くらいは欲しいところです。
たぶん受験生のなかには問題の難しさと量に驚き、動揺したり焦ってしまい普段の実力を発揮できなかった人も多いのではと想像します。

ではいったいどうしてこんな事態が起きたのでしょうか?
たぶんそこにはセンター試験から共通テストに移行した目的が絡んでいると思います。ただその説明には歴史的な背景の理解が必要なので、まずはこの試験の変遷をみておきましょう。

センター試験のさらに前身である共通一次試験は1979年に始まっています。それまでは1期と2期のグループに分けられた国公立の大学がそれぞれ独自の入学試験を一回だけ行なっており、統一的なテストはありませんでした。進学希望者が増え受験競争が激化する中、この制度のもとでは指導要領の範囲を超える難問・奇問も多く出題され受験生の大きな負担になっていることが指摘されていました。そんな中で国公立の受験生全員を対象に広く基礎的な力をみるために導入されたのが共通一次試験です。大量の解答を短期間で採点するためにマークシート方式が採用されました。出題された問題は教科書の内容をしっかり理解していれば解ける標準的なもので「基本的な力をみる」という目的にはかなったものでした。
その一方で高得点を目指すためには5教科を満遍なく学習しなければならず、一部の教科を得意とする生徒にとっては不利になるといった指摘があったり、そもそも試験を2回受けること自体が受験生の負担の軽減にはなっていないという批判もありました。
共通一次試験はいくつかの修正をされながら1989年まで続き、独立行政法人大学入試センターによる「センター試験」に移行します。

センター試験への移行にあたっての大きな変化は、私学も試験結果を利用できるようなったことや全教科受験が必須だったのを大学側が指定する教科のみで良くしたことなど、制度をより柔軟に運用できるものに変更したことです。その一方で共通一次試験の「標準的な問題で基本的な力をみる」という目的そのものは受け継がれました。
センター試験はその後2020年までの30年に渡り続けられていくことになるのですが、2010年代になると「試験内容が時代にマッチしているのか?」「このままの形で良いのか?」といった議論が目立つようになります。

センター試験の問題は良く言えば「奇をてらわない標準的な問題」なのですが、一方で深く考えなくても解けてしまうという側面もあります。数学の例で言えば教科書の内容を理解して過去問に当たっていれば問題を読めばすぐに解法が思い浮かび、後は計算して答えを出すという作業だけになります。そこでは基本的な知識をもとに効率よく正確に処理する能力があるかどうかが問われているのです。

ところがこの30年の間にIT産業の隆盛など世界の産業構造は大きく変化しました。そして、そうした分野で日本が諸外国に遅れをとっているという経済界の焦りもあり「これまでの教育を見直すべきでは」という声が大きくなっていったと思います。その結果、目まぐるしく変化する状況に対応するためには固定した知識や単なる処理能力よりも、柔軟な思考力、表現力、判断力、そして他者と協力して解決にあたる力などを重視すべきだという流れができてきたのです。

自分は以前から、人がより良く生きたり、より生きやすい社会を作っていくためには、物事をしっかり考え、正確に判断し、他者に伝えていく力が重要だと思っていたので、きっかけや理由はどうあれこうした力を重視すること自体には賛成です。

こうした時代背景のもと2014年に中央教育審議会は共通テストの導入を求める答申を文部科学大臣に提出し、2021年度からの導入が決まりました。

共通テスト導入の目的を文科省は次のようにまとめています。
「共通テストは、大学入学希望者を対象に、高等学校段階における基礎的な学習の達成の程度を判定し、大学教育を受けるために必要な能力について把握することを目的とする。このため、各教科・科目の特質に応じ、知識・技能を十分有しているかの評価も行いつつ、思考力・判断力・表現力を中心に評価を行うものである。」(大学入学共通テスト実施方針策定にあたっての考え方より抜粋)
このように文科省は「基礎的な学習の達成の程度を判定」とは言いながら評価の中心は「思考力・判断力・表現力」に変えていくと明確に宣言しているのです。

これを受けて当初は数学と国語では部分的な筆記試験の導入が検討されました。ところが導入にあたり採点は民間に委託することが明らかになり、その場合実際に採点するのはアルバイトの学生になることが予想されるため「公平で正しい採点ができるのか?」という反対意見がだされ結局は見送られました。
また英語では民間試験の利用が検討されましたが、これも受験生によっては受けられる試験に格差があるため、公平性を保つために見送られたのです。
このように「目玉」とされた改革が見送られる中で共通テストは始まります。
センター試験との差異が見えにくいスタートになったわけです。

さて以上の流れを踏まえれば、今回の数学の難問化は当初の方針通り思考力を問う内容を取り入れた結果だと考えられないでしょうか?
出題された問題は確かにしっかりと考えないと解けないものでした。一部では「奇問」と批判する向きもありますが、実際に解いてみるとむしろ「思考力を計る良問」という印象で、出題者の努力がうかがわれます。見たことのない問題なので「条件反射的」には解けませんが「花子さんと太郎さんの会話」という(変なかたちではありますが・・)考えるヒントもあったりして、時間をかけてしっかりと考えれば決して解けない問題ではないと思います。

批判されるべきなのは問題の内容ではなく、むしろ「内容」を変えたのに試験時間や設問数といった「かたち」の部分をほとんど変えていないことではないでしょうか。
思考力を問う問題を出したのに、しっかりと考える時間を与えなかったことが「難問化」した根本の原因だと思うのです。

実はセンター試験からの移行に伴い数IAの試験時間は60分から70分に10分だけ延長されています。たぶん10分の延長でも制度を変えることは大変だったと思います。でもその程度ではとても抜本的な対策にはなり得ません。また指導要領の範囲内からまんべんなく出題してきた流れもあり問題数を減らすことも容易なことではないのでしょう。しかし本気で「思考力」を計る試験に変えていくつもりであれば時間の大幅な延長か問題数の大胆な削減をするしかないと思います。
思考力を試すのなら、しっかり思考する時間を与えるべきということです。

海外での共通試験はどうなっているのかが気になったので少し調べてみました。試験の目的も形式も異なるので直接の比較はできないかもしれませんが、ドイツのアビトゥーア、フランスのバカロレアでは共に数学の試験時間は4時間で筆記式です。しっかりと思考力や表現力を計るもののようです。
一方でアメリカのSATは基礎知識を問うもので80分となっています。統一テストはあくまで基本的なことを理解しているかをみるものと割り切り、思考力や表現力は各大学の個別試験に委ねる方針のようです。

共通テストが今後どうなっていくのかはわかりませんが、方針通りに思考力、判断力、表現力を問うものにするのであれば、試験時間や試験日を増やす、筆記式の採点者を育成・確保するなどの対策は避けられないとおもいます。もしそれが無理ならこうした課題は2次試験に委ねるべきでしょう。
どちらにも舵を切れずに結局は中途半端なものになってしまうおそれもありますが・・