休校による授業日数不足への対応について考えてみる
ひと月前、4月の「雑感」を書いた頃に比べると日本での新型コロナウィルス感染の状況はかなり改善されました。多くの人が外出を控え人との接触を減らした効果が出てきたのだと思います。
こうした状況を受け非常事態宣言も解除され、停止していた経済活動も少しづつ再開されてきています。 学校の状況を見ると、人との接触を避けられない寮生活を基盤とする生野学園ではもうしばらくはオンラインでの対応になりますが、多くの学校では感染予防の対策をとりながら6月からの授業再開を予定しているようです。

再開にあたって学校や自治体では「授業日数の不足」にどう対処するか頭を悩ませているのではないでしょうか。3学期末も含めるとすでに約8週間分の授業日数が失われてしまっているわけで、これに対しどういう対策をとっていくのか判断を迫られているからです。
一時期話題になっていた「いっそのこと9月入学にしてしまったら」という案は、その広範な影響を考えると短期間での準備は難しく、強行すればさらなる混乱を招くことが予想されることなどから、今年度や来年度の実施は見送られそうです。

そうなると授業日数不足への対処法は基本的に二つの方向にしぼられます。
一つは「長期休みのカット」「土曜登校」「1日7時間授業」などの方法で、なんとしても授業時間を確保するという方向です。この方法をとれば確かに予定していた授業を実施することは可能でしょう。でも、それに伴う子どもたちへの負担の増加も相当なものになると思います。短くなった期間で本当に全てを習得できるのか? ハードなスケジュールで集中やモチベーションを維持できるのか? しんどくなる子はいないのか? 授業以外の活動が疎かになってしまっても良いのか? 当然こういった疑問がわいてくるし、それでもあえて授業時間を確保することを第一義とするならばその理由をしっかり説明する必要があるでしょう。

もう一つは「授業内容を減らす」という方向です。授業のペースを変えなければ生徒の負担は増加しませんが、その分すべての内容を学習することはできなくなるので、一部の内容はカットせざるを得ません。そうなると今年度学習する内容は他の学年の子と差異が生じてしまいます。もし何らかの補償をしなければそのまま卒業していくことになり、子どもたちの「教育を受ける権利」という観点からすれば、その権利に制限をかけていることになります。もしこの方向でいくのなら「権利の制限」に対して何らかの了解を得ることが必要でしょう。

どちらの方向に行くにしてもクリヤーしなければならない課題があるのです。
そして現実的には2つの方向を折衷した方法、なるべく授業時間を確保した上で、それでも補ないきれない分については「重要性の低いと思われるもの」をカットしていくという方法をとる学校や自治体が多いと思います。

ただ、ここで疑問に思うのはこうしたことを学校単位、自治体単位で一律に決める必要があるのかということです。ひとつの学校の生徒全員、さらにはある自治体の生徒が全員おなじスケジュールで授業を受ける必要が本当にあるのか、もっと個人に判断を委ねることはできないのかと思うのです。
例えば「自分は少し無理をしてでも全ての内容を学習しておきたい」という子がいたら、その子たちの権利を保証するために補習的な授業を用意し、「自分は無理をせず自分のペースで学習していきたい」という子がいたら、その子は普段の授業だけに参加すればOKというような対応がとれないのか。
また長期休みに関しても、その期間に実施する不足分の授業に参加してもいいし、無理をせずしっかり休みを取ってもいいし、あるいは家族とどこかに出かけたり、学校外の活動に参加しても構わないといったことがあっても良いのではないでしょうか。
もちろん年齢の低い子どもたちは自分だけで決めるのはなかなか難しいと思うので保護者や教師と相談して決めていく必要もあると思いますが、いずれにせよもう少し判断を個々に任せることはできないのだろうかと思います。

とはいっても色々と難しい問題もあるでしょう。
生野学園では学習の内容もペースも個人によって異なるのが当たり前で参加の仕方も自分で決めることができますが、一般の学校とくに公立の学校ではずっと一律の対応をしてきているので、「個人に判断を委ねる」ということには抵抗があると思います。長く続いてきた習慣を変えるには相当の準備やエネルギーも必要になるでしょう。また生徒や教師、保護者の方も「判断を委ねられる」ことには戸惑いもあるかもしれません。むしろこれまで通り「学校で決めて欲しい」という反応が多いのかもしれません。
ただ、そうは思わない子や保護者もおられた場合は、せめて「例外を認める」方向には進んでほしいものです。

以前にも少しお話ししたことがありますが、これからの教育を考えたとき「一律」「一斉」のスタイルから子どもたち一人ひとりに対応した「個別化」のスタイルへ移行していくことが必要になってくると思います。決められたことを手っ取り早く教えたり、出来るようにさせるためには「一律」「一斉」のスタイルが有効であったのは確かですが、社会の変化にともないそれでは対応できないことが増えてきています。
本来、学習というものはいろいろなことが「分かるようになる」「気づく」「出来るようになる」といった自分自身が「変化する」体験ですから、そのペースに個人差があるのは当然です。そうしたペースを重視して個別に学習内容を決めていくのが「教育の個別化」です。子どもたちが「生きる力」を身につけていくためにはこうした個別的な対応が必須であると思います。
逆に個人のペースを無視して単に「やり方を覚えさせる」「内容を暗記させる」といった「教え込む」方法をとっていれば一時的には出来るようになっても定着することなく忘れてしまいます。それでは本当の力は身につかないのです。
そして今回の授業時間確保の対応でも個人のペースを無視して一律に実施すれば一部の生徒にとっては「単なる時間数合わせ」となり無意味な時間になったしまう危険は否めません。 その意味でも教育の個別化は喫緊の課題であると思います。

授業日数不足の問題、オンラインでの授業などcovid-19の影響で教育の現場でもこれまでにない対応を迫られています。大変ではありますが、これがこれまでの教育のあり方を見直すきっかけになればそれも意味のあることではないか思っています。
また教育の個別化の問題はとても大切なことなので機会を改めてお話しするつもりです。
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