修学旅行のご報告
6月末に高校3年生の生徒たちと北海道に修学旅行に行ってきました。
初日はこの時期の北海道では珍しい雨模様の中での富良野周辺観光。二日目は日高に移動して
アウトドア体験。その後、洞爺湖へ移動。三日目は午前に白老のウポポイ(民族共生象徴空間)で国立アイヌ博物館見学等、午後は札幌自由行動。そして最終日は小樽自由散策という日程でした。
修学旅行は生徒にとってもスタッフにとってもとても貴重な体験です。自分にもたくさんの思い出があり、たくさんのことに気付かされたり、考えされたりしてきました。
そして今回の旅の中でもいろいろと感じることがあったので、それをお話してみようと思います。

まず一つ目は「五感を使って未知の体験をすることの大切さ」を再認識したことです。
今回は2日目にアウトドア体験をしていますが、午前は3グループに分かれて行動しました。
第1グループは「キャニオニング」を体験しました。これはウエットスーツとライフジャケットを着て渓流を泳いだり、飛び込んだりしながら身一つで下ってくるものです。本来は水温が上がる7月からということですが、今回は無理を言ってやらせてもらいました。
第2グループは「ブリッジスウィング」です。これは体にロープを付けて橋の上から飛び降りるもので、バンジージャンプに近いのですがバンジーと違ってロープが伸び縮みしないので体はロープの支点を中心として円弧を描いて落下していきます。いわば「巨大ブランコ」のようなものです。
第3グループは「フィッシング」です。当初インストラクターさんは「初めてでは難しいのでは」ということで「釣り堀」を考えていたようですが、経験があって希望する子どもたちには自然の川でもチャッレンジさせてくれました。
それぞれがとてもエキサイティングな体験をしたようで、昼に3グループが合流した時には楽しそうに感想を語っていました。

午後からはみんなで「ラフティング」、ゴムボートでの川下りです。今でこそラフティングは修学旅行の体験活動として定番となっていますが、30年ほど前に取り入れていた学校は無く、当時から続けている生野学園は「草分け的存在」なのではと思っています。
インストラクターさんの話では水量が少なく本来の激しさは無かったそうですが、それでも十分にスリリングな体験が出来ました。

現場で子どもたちの様子を見ていると「本当に楽しそうで生き生きとした表情をしているな」という印象を受けました。それは後日、写真を見てもあらためて実感することです。
実は生野学園の周辺も十分に自然豊かで、川遊びなどの自然の中で体を動かす活動自体は良くしているのです。でも今回はインストラクターの補助によって、自分たちだけでは「危険」で出来ないような、スリルに富んだワクワクする未知の体験=『冒険』をさせてもらったのではないかと思います。そして、それが子どもたちの楽しそうで、生き生きとした表情を生み出していたのではと推察します。
貴重な体験をさせてくれた経験豊かで多彩なHOA(北海道アウトドアアドベンチャーズ)の皆さんに感謝です。

2つ目は個人的な気付きのお話になります。
生野学園の修学旅行は生徒たちが行先を決めるので、決定前にそれぞれが行きたいところの「プレゼン」を行います。3月にプレゼンを行ったときに、ある子が「自分は建築に興味があって、小樽には明治時代に建てられた素晴らし建造物がある。それをぜひ見に行きたい」という話をしました。この話がとても印象的だったので、今回の小樽自由散策では自分も旧日本銀行小樽支店(現在は金融資料館)を見てきたのです。実は小樽には何回か来ておりこの建物も通りがかりに眺めたことはあったのですが、特に気にかけることはありませんでした。今回、資料をもらい真剣に見学してみて初めて、この建物は建築家の辰野金吾とその弟子の長野宇平治によって設計されたものと知りました。
改めて見るとこの建物は「西洋風の日本建築」といったような「軽い」ものではなく、しっかりと西洋の伝統を受け継いだ重厚なものです。かといって単なる模倣でもなく、屋根には八幡鉄鋼所で造られた鉄骨を使うなどの新しいアイデアも取り入れたものと知りました。
こうした知見を得ての率直な感想は「この時代によくこんなものを建てたな」というものです。
辰野金吾は1854年に備前国唐津に生まれ、弟子の長野宇平治は1867年に越後国高田に生まれています。いずれも幕末に地方で生まれた人です。辰野は明治維新後に東京に出て学び、さらにイギリスに留学し建築学を修め、帰国後に長野たちの弟子を育てたわけですが、こんな短期間で西洋の建築術を習得し、自分たちで設計して多くの建物を建てていくことが出来たのは本当に驚きです。西洋建築は従来の日本建築とは設計も材料も技術も全く違うわけですから、そうした全部を日本の地で一から作り、人を育てることを考えると、かなりの困難があったのではと想像します。そして、それを達成した能力と熱意には本当に感服します。
さらに視野を広げれば、建築に限らず明治維新後の驚異的なスピードでの近代化そのものが奇跡のようなものであり、それを支えた人たちと、その人達を育てた教育が一体どんなものであったのか、あらためて考えてみるべきだと感じた次第です。
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