「生野学園に出会えた奇跡」

女子 母 (奨学金作文より)

娘はずっといい子でした。母子家庭で子ども四人を育てる私がほとんど家にいない、居てもゆっくり話を聞いてやる事さえしない、そんな家庭でした。何か、人に認められる様な事、仕事をするのが正しいとか、白黒思考の私が主の家の中で娘は、小さなお母さん役をやっていました。
 そんな娘の体調不良が続き、あちこちの病院をまわったところ、心因性とわかり、たどり着いた病院の先生が娘に貸して下さった本が「生きるための学校」でした。「こういうのって、いい事しか書いてないと思うし。」と言いながら体験を申し込んだのは娘本人でした。他の学校のオープンスクールにも行って比べて生野学園に行くと決めたので、なんとしても行かせてやりたいと思ったが学費が払えない。すると学園から高星奨学金のお話を頂きました。
 はじめは親会に行く交通費も払えず、娘を学園に預けっぱなしにしていました。週末帰宅する娘も、学園での様子を話してくれないので少し心配していたのですが、ある日娘がテレビを見て、楽しそうに声を出して笑ったのです。2年ほど娘の笑い声を聞いていなかったので、私は泣いてしまいました。その後は、安心して学園へ送り出しました。しばらく娘を学園に任せっきりにしていた気がします。
 家計が苦しいのを言い訳にして親会へはあまり行かずにいると、娘が家に帰りたくないとスタッフに相談する様になりました。その頃家では下の妹が登校しぶりをして暴れており、私はただなだめたりすかしたり、どうしていいかわからない状態だったのです。本当は寮生活で疲れている娘をゆっくり休ませてやらなければいけないところですが、私は娘が安らげる家を作ってやる事が出来ませんでした。娘は、またいい子を演じながら耐えてくれました。でも以前と違ったのは、学園に戻るとスタッフが話を聞いてくれていました。娘の苦しい思いを、すぐに察知して寄り添って下さるスタッフがいました。娘はスタッフに見守ってもらいながら、親の私より先に成長していきました。
 もの心ついた頃から、我慢する事やいい子でいる事で家族の調整役をしてきた娘は、自分の思いを言葉で伝える事が苦手でした。学園のスタッフは、そんな娘の心を少しずつ、丁寧に、支えたり、引っ張ったり、押したりして下さったのでしょう。娘が少しずつ話をする様に変わってきました。同時にどんどん笑う様になっていきました。           
 私は娘の変化に喜びながら、親として何もしていない自分に気付きました。私は娘が生野学園に入る前と何も変わっていません。これではいけないと思い、毎月行っていた心理療法を中止して費用を親会参加費に使いました。すると他の親御さんから、スタッフが子ども達にどのように接しているかを聞いたり、直接スタッフから学園での様子を教えてもらえ、娘の悩み事や心の状態を知る事が出来、はじめて生野学園に入れて良かったと思いました。
 3年になり、どんどん娘が変わっていきました。家では昼夜逆転してはいるものの、気持ちは学園での生活に向いているのがわかりました。何かをしようとしている娘がいました。何をしようとしているのか全くわからなかったのですが、何だかとても強くなっていく様でした。そして私に相談もせず、専門学校を受験し進路を決めていました。卒業が近づき、卒展に行こうと思った私が娘から言われたのは「来てほしくない。」でした。私は、娘との関係がうまくいっていない上に娘から拒絶されたと感じて悲しくて泣いていました。するとスタッフから電話があり、「お母さん、気にせず来てやって下さい。」と仰って下さいました。後悔した娘が思い直して、モヤモヤをスタッフに相談したとの事でした。
 当日のライブでは、スタッフにピアノ伴奏してもらい娘が独唱していました。それも、母親への感謝の気持ちを表した曲でした。何も知らずに行った私は感激と、人前で堂々と歌う娘の成長した姿に涙が止まりませんでした。子どもの学校行事でこんなに号泣する事ってあるでしょうか。今まで娘が、どれだけ学園の仲間やスタッフと、かけがえの無い時間を過ごしてきたかを思うと、今でも胸が熱くなります。生野学園のすばらしいスタッフの方々から、人を信じる事と自分を信じる事を教えて頂き、娘は生まれ変わりました。枯れかけていた花が力いっぱい咲いている様です。卒業式の娘の泣きながら笑う顔は、自信に満ちてキラキラと輝いていました。子ども達に寄り添い、一緒に悩み、つきあって下さった学園スタッフには、いくら感謝してもしきれません。
 生野学園に出会えていなければ、私達親子はどうなっていたか考えると寒気がします。生野学園に出会えた奇跡と高星奨学金を受けられた幸運にも恵まれ、OBとして、これから恩返しがしたいと心から思っています。学園の皆様、本当にありがとうございました。
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