「あの日」から

男子 母 (奨学金作文より)

思い返せば全てはあの日から始まりました。
 三年と少し前の十二月のある日、相談会があり初めて学園を訪れました。当時、私の子供は、周りの友人たちが次々に進路を決めてゆく中で、君の出席日数では行ける高校はない、と、言われていました。そんな中で、ここなら受け入れてもらえるんじゃないかと担任の先生が持ってきてくださった資料の中にあったのが学園のパンフレットと相談会のチラシでした。その他にも二校あったのですが、その時点で頭の中は既に学園でした。しかしながら、どんな所か、どんなスタッフがいらっしゃるか、実際に行って見てみないとわかりません。そして、ドキドキしながら行ったのです。中学校には全く足が向かなかった子供が嫌がらずに来てくれただけで少しホッとしていました。
 そして「ウッチャン」に出会ってしまいました。偶々担当してくださった方が「学園長の宇都宮です。」と自己紹介され、えー、そんなえらい方にとこちらは緊張。しかし「こどもたちはみんな私のことをウッチャンって呼ぶんですよ。」と仰るその穏やかな優しい口調とまなざし。いっぺんに緊張は解けてゆきました。校内を隅々まで案内してくださりながら子供たちへの熱い思いを語ってくださいました。子供も私も、もうひとめぼれです。この先生がいらっしゃる学校に間違いはない、確信しました。
 そして、その日から子供は変わり始めました。学校に行けず、先も見えず、うつむいてばかりいた子が前を向き始めました。最後まで中学には行かなかったけれど卒業アルバムに載せる写真のために写真館には行きました。中学校の好意で、本当の卒業式の後で校長室でひとりだけのための卒業式をしてくださいました。その答辞で、これから生野学園で頑張ると言ってくれました。
それでも不安はまだまだ続きます。学園生活本当にやっていけるんだろうか。私の子に関して言えば杞憂でした。そこには彼の望む物があったようです。
 中学生の時、彼がなぜ行けなかったか、何を望んでいたか、それは今もわかりません。でも、もうその答えを探すのはやめました。それが唯一の解決の糸口になると信じて、ムダなことをしてきました。逆に彼にとって、それは止めてくれと言いたいような酷いこともしました。
 しかし、学園には彼の成長の元となるものがあったのです。先輩、同期、後輩。それぞれとの関わりの中で学んでいく人との交わり。誰かから強制されるのではなく自分が動き出すのをじっと暖かく見守ってくださるスタッフ。その中で経験した事は彼にとって一生の宝物になることでしょう。思い通りにいかなかった挫折や失敗もあったかとは思います。でも、それ以上の達成感も味わったんじゃないかと思っています。プライベートでも彼にとって辛いこともありましたが、その度にスタッフから言葉をかけていただいて成長のきっかけとなったようです。
 そして、最後にもうひとつ、大切なことがあります。それは学園が子供を成長させてくださっただけでなく、親にとっても学校であったということです。学校には同じような悩みを持っている仲間がいます。先輩がいます。悩みを聞いてくれてアドバイスをしてくださるスタッフがいます。私は「お母さんが幸せにならないと子供さんは幸せにならないよ」というスタッフの言葉に目を開かれました。
 学校は楽しいところでもあります。他所では絶対見せられないようなバカやって、遊ぶところでもあるのです。難しい顔して悩むばかりが親じゃありません。親が楽しそうにバカやっているのを見て子供も楽しくバカをやれると教えてくれたのも学園でした。
 私はシングルマザーで、途中生死をさまようほどの大病もしました。いろいろな意味で学園、高星後援会にお世話になりました。
 先日の高校卒業式の日、子供の晴れやかなほこらしげな顔に感激し、あらためて学園に関わる全ての方々への感謝の気持ちを新たにしました。
 本当にありがとうございました。
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