「若者の意識に関する調査」を読む
-- 「役に立つ」ことへのとらわれについて --
「若者の意識調査」というものをご覧になったことはあるでしょうか。
様々な種類の調査がいろいろな組織、団体によって実施されているので、ネットで検索すれば直ぐに何件かがヒットします。

メジャーなところを2つ挙げておくと、一つは内閣府による「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」。これは1972年から5年おきに実施されてきた「世界青年意識調査」を2013年にリニューアルしたもので、日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンの7カ国の13歳から29歳までの人を対象にしています。最新のものは2018年で、たぶん来年には新たな調査が実施されるものと思います。
もう一つは日本財団による「18歳意識調査」。これは一回ごとにテーマを決めて調査するもので、対象は基本的には日本全国の17歳〜19歳の男女ですが、テーマによって国際比較が必要な場合は数カ国に対象を広げています。この調査は頻繁に行われており、最新のものは日本、アメリカ、イギリス、中国、韓国、インドネシアを対象とした第46回目の「国や社会に対する意識」です。
どちらも考えさせられる内容を含んだ調査なのでこの「雑感」で紹介させてもらおうと思います。

まず今回は内閣府による「若者の意識調査」から。
この調査が発表されるとすぐに指摘されたのは日本の若者の「自己肯定感の低さ」です。マスコミでもけっこう話題になったのでご記憶されている方もおられるかもしれません。
下のグラフは「自分自身に満足している」という設問に対する解答の割合を国別に集計したものですが、日本の低さは一目瞭然です。またグラフは用意しませんでしたが「自分には長所がある」という質問でも日本は明らかに低くなっています。
そして、次にあげるているのは「自分は役に立たないと強く感じる」という設問への解答の割合をグラフにしたものです。
この設問では数値が高いほど自分が役に立たないと感じている人の割合が多くなります。
これを見るとドイツ、フランス、スウェーデンは明らかに低くなっていますが、イギリス、アメリカが意外に高く、日本と韓国がそれに続いています。この項目については日本だけが突出しいているわけではまったくありません。
問題はこの2つの設問の間の関係です。
下のグラフは日本人について「自分自身に満足している」への解答を、「自分は役に立たないと強く感じる」に対する解答別に集計したものです。横軸が「自分は役に立つと思う」度合、縦軸が「自分自身に満足している」人の割合です。
これを見ると右に行くほど割合が増えているのがわかると思います。
つまり日本人で「自分は役に立たない」と思っている人は「自分満足度」が低いのですが、「自分は役に立たない」という思いが弱くなるにしたがって「自分満足度」が高くなっていく傾向があるわけです。統計の言葉を使うとこの2つの間には「相関関係」が存在するわけです。
ところが内閣府の分析によると、この2つの間に相関関係が見られたのは日本だけで、他の国では見られないのだそうです。確かに先程のグラフを見るとイギリスやアメリカでは「自分が役に立っている」という有用感は低いものの「自分満足度」は高くなっています。

実はこの調査では「自分は役に立たないと強く思う」という項目以外にも「自分には長所がある」「自分の考えをはっきり相手に伝えることができる」「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」といった項目と「自分自身に満足している」という項目との関係が分析されており、これらに対しては日本でも他の諸国でも同じように相関関係が確認されるそうです。

つまり「自分自身に満足する」ための要因にはさまざまなものがあるのですが、その中に「自分が役に立つかどうか」が含まれるのは日本だけで、日本の若者に限って「自分が役に立つ」と思えないと「自分に満足ができない」という結果が出ているのです。

それではなぜ他の国では自分が役に立とうが立つまいが、そんなこととは関係なく自分自身に満足できるのに、なぜ日本の若者ではそうはいかないのでしょうか?

ここから先は想像の話になりますが、日本の社会そのものに「役に立つかどうか」で人を評価してしまう傾向があるのではないかと思います。そして教育もまた「役に立つ人材」を生み出すことを目的としてきたきらいがあります。そうした社会で育てば当然「自分自身に満足する」ためには「役に立つと思えること」が必要になるし、そうして育った子どもたちが社会を構成していくのだからこの傾向は再生産されていく、というのが自分の仮説です。

日本の社会では「役に立つ」というと無条件に良いことのように受け止めてしまいがちですが、じつは「役に立つ」ということには相当の注意が必要だと思っています。
なぜなら「役に立つ」というのは必ず「何に対して」「誰に対して」という対象があり、純粋にその人自身の資質ではないからです。
例えばこの調査に出てくる「自分の考えをはっきり相手に伝えることができる」「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」といったことはその人自身の資質であって対象によって左右されるものではありません。
これに対し「役に立つ」というのは必ず対象によって影響を受けるのです。Aに対して「役に立つ」ことがBに対しては「役に立たない」かもしれないし、場合によっては悪影響を及ぼす可能性もあります。時間的に見ても今役に立つことが将来的には無駄になるかもしれないし、逆に今は役に立たないと思われていることが意外なところで役に立つ日が来るかもしれません。そして、たぶんそれは人智の及ぶものではないと思います。
「役に立つかどうか」の判断は本質的に困難なはずなのです。

さらに言うと「役に立つかどうかを誰が判断するのか」という問題もあります。
本質的に困難な「役に立つかどうか」の判断を特定の個人や組織が下し、それが他者の価値を決めてしまうことがあれば、それはかなり危険なことです。短期的で狭い視点から下された判断がまかり通ってしまえば多くの人が不幸になるし、社会そのものが歪んでいくことにつながりかねません。

実を言うと日本はその意味ですでにかなりの失敗をしているのではないかと思っています。
一つだけ例を上げておくと、日本の大学では20世紀後半から産業に直結する「役に立つ研究」がもてはやされ、そのぶん基礎的な研究がおろそかにされてきました。確かに短期的には成果を上げたのかもしれませんが、長い目で見ると学問の基礎体力のようなものが失われ、日本ではなかなか画期的な研究が育たなくなっています。もし長期的な視点から「急がば廻れ」の精神で一見無駄に見える研究も大切にしてきたら随分と違った風景になっていたのではないでしょうか。

もちろん本当に必要なものを見定め、無駄を省いていくという視点も大切ではあります。ただ無駄を省く時は「自分の視点が狭く短期的なものではないか」ということを十分に検討して慎重に判断することが欠かせないと思います。

この内閣府の調査をうけて「子どもたちに役に立つ経験をさせるべきだ」という意見も出されました。これは子どもたちが「役に立つ経験」をすれば自己肯定感が育つという発想からのものと思いますが、はっきり言って全く逆だと思います。
むしろ大切なのは「自分が役に立つかどうかなんて気にしないで、自分のやりたいこと、信ずることをしっかりとやっていく」ことであり、それができる子が育つ環境を作ることです。
逆説的ですがそうして育っていった子どもたちこそが将来「何らかの役に立っていく」のではないでしょうか。
まずは学校という場所で「役に立っているかどうかなんて気にしなくていい」「役に立っていようがいまいが、そんなことには関係なく人間の価値は変わらない」という意識を育て、子どもたちの「安心感」を育んでいくことが大切だと思います。

次回は日本財団の「18歳意識調査」を検討してみます。
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