おやごころ

梶原純一

高星会ニュースよりより

昨年の夏に八十歳で父親が旅立ちました。
 九州で一人暮らしをしていたので、大病してからこの三年間、無理言って頻繁に帰省させてもらいました。帰りの道中運転しながら、父親とのこれまでのことをよく思い出しました。小さい頃は川に魚とりに行ったり、山歩きに連れて行ってもらったり、一緒によく遊んでくれたと思います。ただ、そのうち僕が思春期になると、反発して、ろくすっぽ口もきかない時期がありました。結局十八歳で家を出るまで、父との関係はよくなかったのを覚えています。頑固者の、いかにも九州男児という親父が、うっとうしくて仕方なかったんだと思います。
 あれから三十年が経ちました。青臭かった僕も世間に出て一通り色んな経験をしました。いろんな場所に行き、たくさんの人にお世話になって、その情にふれて、世の中のことを段々と学ばせてもらったと思っています。
 そして、“おやごころ”というものも少しずつ解るようになリました。「ああ、あの時親父はこう思ってこう言ってくれたんだな」とか、「あの時そういう事をしたのは、こう考えてくれてのことだからか」とか、今になってやっと納得いくというか、理解できることが増えました。若い頃の僕には耳障リでうっとうしいばかりでしたが、この歳なってやっとわかリました。全て自分の子どもに対しての、まっすぐな“おやごころ” からのものだったと思います。反抗期の扱いにくくなった僕に対して、おそらく悩みながらも、また、我慢もしながらも、逃げずに向き合ってくれていたんだな、と今は実感しています。小理屈ばかりエラそうに並べていた僕は、恥ずかしいばかりです…。
 生野の親御さんにはいつも頭が下がります。文句と注文の多い子ども達(笑)に気を遣いながらも向き合い、「何をすればいいのか、否、しない方がいいのか?」といつも悩み、自問自答されている姿に、僕は自分自身の父親の姿を重ねます。僕のようなスタッフという存在は、一時(いっとき)の関わリの者ですが、一時でもその長く尊い親子の歴史に関わった以上、そのまっすぐな“おやごころ”を何があっても応援し味方する気持ちを持ち続けて行きたいと思っています。
 もちろん主役は子ども達ですが(笑)
 ご卒業おめでとうございます。
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