世界が広がるために

篠原義省

高星会ニュースよりより

2002年からずっと中学担当だったので高校の学年に入れてもらうのは本当に久しぶりの事でした。1年だけだったのでたいした事も出来ませんでしたが、むしろ慣れない自分に気を使ってくれた26期の子どもたち、親御さんたちには本当に感謝しています。
 26期が1年の頃はまだまだ不安も強く、落ち着かない動きもあると聞いて、傍から見ていた自分も正直「大丈夫かな?」と思うこともありました。しかし、学年スタッフと親御さんたちが本当に一生懸命子どもたちと関わるなかで次第に落ち着き、自分が学年に入れてもらった時にはびっくりするほど逞しくなっていました。たぶんこの間は自分自身を問い直し、人との関係を模索する格闘の日々だったのではないでしようか。
 話は変わりますが、実は最近AI(人工知能)の勉強を少ししています。理由はこの先、様々な分野で人間がしてきたことがAIにとって変わられていくと、人間の社会に相当の変化が訪れるのではないか、そして教育の果たす役割も根本的に変わらざるを得なくなるのではないか、そういったことを考えてみたいと思ったからです。たぶんこれまでのような知識や技能を教える場としての意味は薄れていき、人間ならではの在り方を問う思索が求められていくのではないでしようか。他者との関わりの中で自分自身の生きる意味を問うたり、自分だけでなく他者の生き方も認めていくためにはどうしたら良いのかを考えていく。しかも、それは答えがあらかじめあって教えられるものではなく試行錯誤の中で一人ひとりが見つけていかなければいけない。そんな事が求められていくのではないか。そんなふうに考えてみると、生野学園での3年間はまさにそうした教育のあり方を先取りしているのではないかとも思えてきます。先が見えず思い悩んでいる時期は本当に大変で苦しいものだったろうと思いますが、その経験があればこそ得ることの出来たものは人間にしか出来ないかけがえのないものだったのではないでしようか。
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