「認識が深まっていくこと」について
かなり前のことですが、ある子から「1+1はなぜ2になるの?」と質問されたことがあります。
質問してきたのは足し算を習いたての小学生ではなく中学生です。たぶん足し算のやり方はよくわかっていて普通に使っているけど、改めて「なぜか?」と考えてみると自分では納得のいく答えが出せずに質問してきたのだと思います。
ですから小学生にするような具体的な例を使った感覚的な説明ではなく、それなりに理屈の通った説明をする必要がありました。
ただこの質問はちゃんと答えようとするとけっこう手強いものなのです。
まず「足し算とはなにか?」をきちんと定義する必要があります。でもそのためには足し算の対象になっている数、中でも一番の基本である「自然数とは何か」がわかっていないといけません。つまり説明は「自然数とはなにか?」というところからスタートする必要があるのです。

では「自然数」とはいったいなんでしょう?
感覚的な説明なら
「1,2,3,4,5,6,・・・・ と無限に続いていく数」と答えれば十分でしょう。
もちろん文化圏が違えば使う記号は異なるかもしれません。でもほとんどの人がこの説明を直感的に理解するのではないでしょうか。
実際、人間の長い歴史の中であえて自然数にたいし論理的で明確な説明をす必要はなかったと思います。 ところが数学の世界では19世紀頃から「厳密性」が追求されるようになります。数学の研究対象が広がるにつれて、それまで曖昧にしてきた概念が思わぬ間違いの原因になっているケースが見つかり、あらためていろいろな概念を吟味していったのです。
そんな流れの中でイタリアの数学者ペアノが自然数が満たすべき公理を提唱し、以後数学の世界では「ペアノの公理を満たす集合が自然数である」とされるようになります。そのため「自然数とはなにか」をしっかりと説明するためにはペアノの公理に言及せざるを得ないのです。

では「ペアノの公理」とはどんなものか?
それを示す前にすこし準備をしておきます。

自然数は直感的に表現すると「無限に続いていく1本の数のならび」という特徴をもっています。ただそれだけではあまりに漠然としていいるので、もう少し丁寧に整理しておくと

1 最初の数がある(普通は1)
2 どんな数にも「次の数」がひとつだけある。
3 どんな数の「前の数」も一つだけである。
4 ループにならない(1, 2, 3, 1, 2, 3, ・・・とかにはならない)
5 1からはじまった1本の「つながり」にすべての数が含まれる

これぐらいの条件が揃っていれば、自然数の特徴をしっかりと表現できているのではないでしょうか。
実はペアノの公理はこの1〜5の条件を集合と関数の言葉を使って数学的に表したものなのです。
ペアノの公理は次のようになります。

ある集合Nが次の条件を満たすときNを自然数という。
1.1はNの要素である
2.Nに含まれるすべての要素xに対しS(x)というNの要素が一つ決まる。(次の数が一つある)
3.S(x) = S(y) なら x = y(前の数も一つだけ)
4.S(x) = 1 を満たすNの要素は存在しない。(1には戻らない=ループにならない)
5.Nは1〜4の条件を満たす最小の集合である。(すべての数が1本でつながっている)

こうしてみるとペアノの公理は自然数の特徴をよく捉えていると思えないでしょうか?

ペアノが自然数が満たすべき条件が整理してくれたおかげで、今の私達は「自然数とはなにか」という問いに「ペアノの公理を満たす集合だ」と言えるようになったわけです。
ところが数学というのは疑い深い学問で、これで話が終わったわけではありません。
どういうことかというと
「確かに自然数が満たすべき条件はわかったけど、本当にその条件を満たす集合は存在するのか?」という疑問を呈することも出来るからです。
ただ、深入りはしませんがこの疑問に対しても「確かに実在する」ことが証明されています。
これでようやく数学の世界では安心して「自然数」を扱うことが出来るようになったのです。

「1+1=2の証明」はこのあと、ペアノの公理をもとに「足し算」の定義をして、その定義に従えば確かに1+1=2になることを示すという流れになります。
その詳細は割愛しますが、この質問してきた子に渡した解説のリンクを文末に張っておくので興味がある方は御覧ください。

数学の話が長くなってしまいましたが、今回こんな話から初めたのは「人間の認識がどう進んでいくか」を考えてみたかったからです。

これまで説明したように、ペアノの公理は5つの条件で自然数の特徴を余すところなく表現しています。「自然数の本質」を的確に捉えたものと言えるでしょう。
でも、だからといって初学者に自然数を教えるときにいきなりペアノの公理から入っても理解はしてもらえないと思います。むしろ混乱させるだけではないでしょうか。
ペアノの公理を知って「なるほど」と思えるとしたら、それは既に「数を数える」「計算をする」などの様々な体験の中から「自然数とはなにか」を経験的に知っているからなのだと思います。明示的に「自然数とはなにか」を言語で表現できなくても、暗黙のうちに「自然数に備わっている特徴を」知っているからこそ「なるほど」と思えるのです。
確かにペアノの公理を知れば自然数に対する認識はより正確で論理的なものに深化します。そして、それはとても大切なことです。でも人は「ペアノの公理によってはじめて自然数を知る」わけではないのです。

この自然数の例をもとに話を少し一般化してみます。
人がある事象に対する認識を深めていく過程は次のように整理できるのではないでしょうか。

1 その事象に関する体験を積み、事象に慣れ親しむ。(数える。計算する)
2 その中で事象がどんな性質を持っているかを理解していく。
3 その事象に固有の性質、言い換えれば絶対に外せない性質を絞り込んでいく。
4 絞り込んだ性質(本質)を言語化することで「概念」として理解する。(ペアノの公理)

これは具体的、経験的な暗黙の認識が、次第に抽象的で明示的な概念に変わっていく過程とも言えます。
基本的には人間の認識はこんな流れのなかで徐々に深化していくのではないかと思っていますが、ややこしいのは時として順番が逆転することがあるということです。

というのは人間は言語を介して学習するので、すでに他者によって作られた概念を初めに教わり、それを後から具体的で経験的な知識にしていかなければならないこともあるからです。
こうした場合には、その概念が表している事象の具体的な例にふれることで経験的な知識と関連付けていく必要があるのですが、これはけっこう難しいのです。
たとえば皆さんの中には数学の本が苦手で「難しい」と感じられている人もおられると思います。確かに数学の本はとっつきにくいものが多いのですが、それは正確性を期するために具体例よりも先に概念が提示されることが多いからではないかと想像します。
自然数の例で言えば、初学者への説明がいきなりペアノの公理から始まっているような状況です。論理的には首尾一貫していて正しい記述であっても、それを理解するための体験的な知識という土壌が伴わなければ、わけのわからない記号にしか見えないのは当然でしょう。
自分でいろんな具体例を考えることでなんとか理解に達することもありますが、認識の流れとしては具体的、経験的な認識を徐々に概念化していく流れのほうが自然だと思います。

子どもたちの学習を考える上でもこの認識の順番を考慮することが重要です。
特に抽象的な思考に慣れていない段階では、概念を先に提示するのではなく、なるべく具体的な事象にふれる体験の中で自然に知識をつけられるようにするべきでしょう。やむを得ないばあいでも、なるべく豊富な具体例を提示して子どもたちの理解を助けるべきではないでしょうか?
経験的知識を伴わない空疎な概念を身につけてしまうと、言葉ばかりが先行したり、言葉の意味を取り違えてしまうといったことも起こり得ます。こうしたことはなんとしても避けるべきだと思います。

生野学園が生活を基盤として、生活の中で体験的に学ぶことを重視している理由のひとつはここにあります。空疎な概念ではなく体験、経験によって裏打ちされたしっかりとした知識を身に着けてほしいと願っているのです。
スタッフ一人ひとりがこうしたことを意識して日常的に関わることで、子どもたちが知識を深めていける環境を作っていきたいと思っています。

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