全寮制の大切さ
今の時代、通信制やネットを利用した学校が増えている中、生野学園は一貫して「全寮制」の学校であり続けています。
今月はその理由についてお話してみようと思います。

「全寮制の学校」というとどんなイメージをお持ちでしょうか?
たぶん「決められた日課に従って規則正しい生活をおくっている」という印象をお持ちの方もおられるかと思います。実際、生野学園に見学や相談に来られる親御さんから「家にいるとついつい怠けてしまうので、全寮制の学校で生活リズムを鍛え直してほしいと思って・・」というお話を聞くことがあります。こうした親御さんは「全寮制=規則正しい生活」というイメージをお持ちなのでしょう。
確かに多くの全寮制の学校では、全員が同じ日課に従って規則正しい生活していると思います。
でも生野学園では全員が同じ日課に従って生活しているということはありません。各自が自分のペースで、それぞれの日課で生活しているのです。もちろん食事時間、入浴時間などの大枠は決まっていますが、それらも時間の幅があって、その中から自由に選んで行けばよいのです。(一部コロナによる制限は残っています。)

生野学園がこうした「自由度の高い全寮制」にしている理由は大きく2つあります。

ひとつめは不登校を経験した子どもたちにはとても個人差があって、だれもが同じような生活をしていくことが難しいことです。後でもふれますが、自宅を離れ寮で共同生活をするためにはとてもエネルギーが必要です。そのためのエネルギーが十分溜まっている子もいれば、まだまだ寮に来るだけで精一杯の子もいます。あるいはまだ不安も強く、家を離れるとなかなか寝付けないという子もいます。こうした子どもたちにも一律に厳しい日課を課したとしたら、心身ともに疲弊してしまい、寮生活を続けていくことが困難になると思います。ですから、まずはそれぞれが出来ることからスタートし、安心感を育てエネルギーを貯めていくことが必要なのです。

ふたつめの理由は、与えられた規則によって作られた生活リズムはどこか「本物」ではないと思うからです。本来であれば「こんなことがしたい」「こんなふうになりたい」といった何らかの「目的」があって、そのためにはどういう生活を送る必要があるかを考え、そこから自分自身に必要な日課を課していくべきではないか。そうした内発的な動機から作られた生活リズムこそが「本物」だと思うのです。
仮に、与えられた規則によって生活リズムが身についたとしても、それが何らかの「目的」に結びつかなければ、寮を離れ規則がなくなればもとに戻ってしまうのではないでしょうか?
大切なのは内的な動機があることなのです。
ただ自分のやりたいことを見つけ、その実現のために自分自身を律していく力を身につけるのは容易なことではありません。実際には生野学園で過ごす日々のすべてをかけても難しいのかもしれません。ですから手段としては規則をきめて生活リズムを整えること自体を目標にすることが有効なこともあります。しかし、最終の目標は内的動機に基づく「自律」に置くべきだと思うのです。

こうした理由から生野学園の寮では各自が思い思いのペースで寮生活をおくっているのです。

でも統一した日課がなくそれぞれのペースで過ごすのなら「家で過ごすのとどこが違うの?」「家にいて通信で勉強してるのと変わらないのでは?」という疑問が生じるかもしれません。
しかし、そこには決定的な違いがあります。

それは端的に言って「他者の存在」、しかもその他者と生活の場を共有するということです。
家にいても「ネットを介すれば他者とつながることは出来る」のかもしれません。でも実際に身近に他者が存在することの間には大きな隔たりがあります。ネットでの繋がりの場合、なにか都合が悪くなったり、相手とうまく行かなくなれば「回線を遮断するという最終手段」があります。つまりネット上の「他者」は自分でその存在をコントロールできる「都合のいい他者」なのです。
これに対し「生活の場を共有する他者」は自分ではけっしてコントロールできないし、たとえ関わりを取らなくても頑として存在している真の意味での「他者」なのです。
不思議なもので人間はたとえ関わりを取らなくても、他者がそこにいるだけで意識するし、多くの影響を受けていくように思います。
寮で生活するためには、そうした「他者」の存在を受け入れていくことが必要であり、同時にそれは「受け入れる自分自身と向き合う」過程をも伴います。これまでの自分の「狭さ」や「かたくなさ」に気づくこともあるかもしれません。そしてこれはかなりのエネルギーが必要なことでもあります。

しかも生野学園の寮生活は自由度が高いので、他者への関わり方についても自分で判断しなければならない場面が多くあります。全員が細かい日課に従って決められた行動をするのであれば、他者との関わりもその枠内で行なえばよいのですが、自由度の高い生活では「他者とどう関わるか」を自分で決めなければならないことも多いのです。
生野学園の子どもたちが生活の中で逞しくなっていくのは、日々こうした体験をしているからではないかと思っています。

さて、話の流れが寮生活の「大変さ」の方に偏ってしまったきらいがあるので、すこし全寮制ならではの愉しさについても言及しておきたいと思います。
寮で宿直していると、仲の良い子どうしが部屋に集まって他愛もない話に興じたり、ワイワイ言いながらみんなで楽しそうにゲームをしたり、あるいは夜遅くまで真剣な話をしている姿を目にします。こうした時間と空間を共有できるのは全寮制ならではのことで、そこで生まれてくる仲間意識は子どもたちにとってかけがえのないものだと思います。
そして、その中で互いを認めあった者同士が、アイデアを出し合ったり、議論を深めながら何かを実現していく過程は本当に楽しく有意義なものです。
ちょうどこの文を書いている9月の末、体育祭に向けて夜遅くまで、真剣に、そして楽しそうに準備を進めている子どもたちの姿を見ると改めて「全寮制の良さ」感じます。

また異年齢の子どもたちが同じ生活空間に居るということもとても大きなことです。年上の子たちの姿や行いを見て「自分もあんなふうになりたい」という気持ちや「こんな時はこうすればいいのか」といった気付きが自然に生まれてきます。しかも寮生活では、クラブなどとは違ってさまざまな興味や関心を持った「自分とは異なるタイプ」の先輩との出会いも多くあり、自分の世界を広げていくきっかけとなるのです。

子どもたちの成長には、一時的、表面的でない、深く時間をかけた他者との関わりが欠かせません。1人でも多くの子が寮生活の中でこうした関わりを経験してほしいと思います。
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